2009/07/26

妻の貌(かお)

「妻の貌(かお)」という映画を観に行きました。
http://www.tumanokao.com/
現在82歳になるアマチュア監督、川本昭人さんが、妻キヨ子さんを半世紀に渡って8ミリカメラで撮り続けたものをまとめた作品です。
監督川本さんの妻に対する愛そのものであり、家族(4世代)の絆であり、広島の原爆症で苦しむ妻を通しての無言の非戦の訴えでもあります。
あまりにも長い年月撮り続けているため、被写体であるキヨ子さんはまさに自然体。「素」です。
とある平凡な家族の姿を盗み見している感覚になります。
だからこそ、誰もが自分の家族とシンクロする部分が多くて、共感を呼ぶのだと思います。
それにしても、半世紀も自分の妻を撮るってスゴイ。


そのあと、一緒に観に行った友達のお宅へお邪魔し、もんじゃ焼きパーティーしました♪
10年前、人生初のもんじゃ焼きを食べに月島へ行ったお相手です↓↓
あのときと同じ、めんたいモチチーーーズ!

見上げた夜空に三日月が↓↓
空も蒼くて幻想的でした。

2009/07/22

2035年9月2日 El 2 de septiembre del 2035

川崎市は残念なお天気で、皆既日食(部分日食)は見られませんでした。
私は天体ファンではないので(お月様を眺めるのは大好き♪)、とくに楽しみというほどでもありませんでしたが。
En el día que se vio el eclipse solar en el sur de Japón, la lluvia aguó el eclipse parcial tan esperado en mi ciudad. Como no soy fanática de la astronomía (sólo que soy amante de la luna llena), no me interesaba mucho verlo.

次回日本で見られる皆既日食は26年後の2035年9月2日。
北陸・北関東などで見られるそうです。
TVニュースで100歳のおじいちゃんが、今回で人生7回目の皆既日食を見て喜び、「次回も見れるか分かりませんが、生きていたらまた見たいです。」と真顔でコメントしていたのを見て、「んなわけあるかい!」と一人突っ込みを入れながら、でもなんだかホンワカしました。
Dicen que el próximo eclipse solar en Japón es después de 26 años, el 2 de septiembre del 2035. En las noticias de la TV pasaron una entrevista con un señor que tiene 100 años. Para ese señor fue la séptima vez que vio el eclipse solar en su vida. El señor comentó, "no sé si puedo ver el próximo eclipse solar, pero me gustaría verlo si todavía estoy vivo" con cara seria. Yo exclamé, "¡no puede ser!", pero después pensé que sus palabras eran tiernas.

26年後、その時は両親と一緒に見たいな。
だからそのときまで長生きしてね。
26 años después....me gustarí verlo con mis padres. Les dije que vivieran hasta los 100 años.

2009/07/19

日比谷公園へ行きました。
コロンビア独立記念祭が催されていました↓↓
公園が、コロンビア化してました。音楽、爆音。
東京宝塚劇場の前で、宝ジェンヌを待ち伏せするファンの女性たち↓↓
大群でした。異様な静けさでした。
宝ジェンヌが通りすぎてくのを、キャーキャー言うでもなく、無言で手を振るのでした。
そういうルールなのかしら?

日比谷のオフィスビルが立ち並ぶ中に、突如現れた人口芝生↓↓
期間限定なのか分からないけど、「ご自由に休憩してください」だそうです。

芝生の周りには、小さなコンテナがいくつか並び、こちらも公共休憩スペース↓↓
おじさんが新聞読んでました。オシャレで斬新な感じでした。空を見上げたら、虹が出ていました↓↓
こんなにくっきり、大きく弧を描いてるのは初めて見たかも。
気付いてよかったー。
虹って雨上がりじゃなくても出るんですね。 オフィスビルの合間に見えた空が、恐いくらいキレイでした↓↓
幻想的で、悲しくなるような空でした。

2009/07/18

花時計 その後 El reloj después

たしか4月中旬でした。
横浜みなとみらい地区のド真ん中、「World Porters」の前に、2万株の花を植える「花時計プロジェクト」に参加したのは。
Creo que fue en abril que colaboré en un proyecto de hacer un reloj de flores en el centro de Yokohama. Habíamos plantado 20 mil flores. Ya han pasado 3 meses y volvía vsitarlo.
あれから3か月。
再び訪れてみると、花時計はこんな感じ↓↓でした。担当ボランティアさんに聞くと、水やりや雑草抜きのため、頻繁に足を運んでいるのだそうです。
なるほど、だからまだこんなに美しく保たれているんだ。
ご苦労様です。
Según una voluntaria el grupo de voluntarios sigue viniendo por turnos para regar las flores y arrancar la hierba. En efecto las flores se mantienen bellas.

とはいえ、よーく見ると、自然の摂理で花が枯れつつあります。
明日、市内の小学生が、一部分に新しい花株を植え替えする行事があるそうで、
今日はそのために古株を抜いたり、雑草を抜いたりするお手伝いに行きました↓↓
Pero si uno se fija bien se nota que algunas flores se están muriendo de muerte natural. Mañana tiene lugar un evento, donde los niños de primarias vienen a plantar las nuevas flores. Hoy vine a sacar las hirbas y las flores muertas con los voluntarios.
「花時計プロジェクトSTAFF」ポロシャツを着た、ボランティアさん↓↓
Los voluntarios usaban las mismas camisetas con el nombre del proyecto.
明日の行事には、中華街にある中学校の生徒会の皆さんが、小学生のまとめ役として参加します。
中学校をよくするための「マニフェスト」を掲げ演説し、選挙で投票によって選ばれた、会長、副会長、本部役員の皆さんです。熱いな~。
En el evento mañana colabora la asociación de alumnos de secundarias para asistir a los niños. Estos alumnos son presidente, vicepresidente y comisarios elegidos con su "manifiesto" y los discursos por votación.

今日はその中学生も来て、リハーサルしていました↓↓
Estos políticos pequeños vinieron hoy también para hacer el ensayo de la ceremonia.
中学生は午前いっぱいで帰り、午後からはボランティアさんと私という少人数での作業となりました。
太陽が照り始め、しゃがんでいるだけで汗がジュワッ。
「暑い」「水(飲む)」「疲れた」の3つしか発言しなかった気がします。
でも、辛いはずが、なぜか楽しいのでした。
En la tarde empezó hacer mucho calor y sudaba sin hacer nada. Creo que yo decía sólo 3 palabras:"Tengo calor","Tengo sed" y "Me cansé". Lo extraño es que fue muy divertido aunque el trabajo ha sido muy duro.

スコップを強く握って掘っていたら、てのひらにマメができました!
感動的。 努力の勲章だ♪
Me ha salido una ampolla en la palma de la mano porque cavaba la tierra para sacar las flores muertas con una pala y con todas mis fuerzas. Estaba contenta con la ampolla, para mí fue una condecoración de esfuerzo.

2009/07/17

You are my sunshine

今日の音楽療法で「You are my sunshine」という曲を聴いて、その歌詞に感動し、さっそくYouTubeで調べたらありました!
元々は、アメリカの古いカントリーソングなのだそうです。



"You are my sunshine
My only sunshine
You make me happy when skies are gray
You'll never know,dear,how much I love you
Please don't take my sunshine away

The other night,dear
When I laid sleepin'
I dreamed I held you in my arms
When I awoke,dear
I was mistaken
So I hung my head down and cried"

こんなこと↑↑言われてみたい(´-`)
すばらしい名曲です。

しかし、原曲の歌詞には続きがありました↓↓

"You told me once,dear
You really loved me
And no one else could come between
But now you've left me to love another
You have shattered all of my dream"

あれれ?失恋の曲??悲しい曲だったのか…。
まぁいいや、サビの部分だけ聞くと最高にハッピーになれるから。

2009/07/16

母のメール

≪第1話≫
「綿の花、4輪咲いた。今年は綿の収穫あり。」
という短文が、母からメールで送られてきました。
「綿花栽培してたの?」という私の質問メールに対し、
「綿は増やしていって、綿打ちして、糸に紡ぎたいねん。」
と返事が来ました。

いまどき、綿花から綿を栽培して糸を紡ぐだなんて!!
昔話みたい。アナログすぎる。
なぜ、既製品の糸を買わないのだろう・・・。

≪第2話≫
題名「せみ時雨」
「洗濯物を取り込むために窓をひょいと開けたら、蝉に『おしっこ』かけられた。60年で初めての体験や!
せみは驚くとおしっこをかけるらしい。」

せみ時雨ってそういう意味だったのか・・・。

≪第3話≫
「今年はしゃぼてんの花がよく咲いたよ。
この鉢は2鉢目や。まだまだ咲く鉢があるねん。
おまけに、多肉植物(名前を忘れた)も今年は花が咲いた。 」

"さぼてん" じゃなくて、"しゃぼてん"なんだ・・・。
写真付きで送られてきました↓↓

ちなみに、しゃぼてんの花は、たった一夜しか咲かないんですって。
なので、つぼみが膨らんできたら、母は毎日ジッと観察していたのだそうです。見逃すと、次は来年になってしまうので。

私としてはツボにはまったメールの一部をご紹介しました。

2009/07/14

椰子の実

社会復帰して今日で2日目。
新職場は半年ぶりの病院です。
さっそく院内で迷子になりました。

社会人ってタイへーン。
朝は早起き、時間厳守で進むスケジュール、空き時間の無駄話もナシ。 日本人はマジメだなー。
はぁ~と思わずため息ついたら、「大丈夫ですか?」と声かけられた。
早く、ホントの社会復帰をせねば・・・。

今日は音楽療法の時間に「椰子の実」を歌いました。
私はこの曲が大好きです。癒されましたー。
なんとこの「椰子の実」、我が愛知県に流れてきたんですよ。
愛知県の渥美半島に、詩碑(詞:島崎藤村)が立っています。
私にとって、椰子の実(ココナッツ)には思い出がいっぱい。
ロマンを感じますね。
↑↑ これは、ボリビアの職場に植わっていた椰子の木。(foto:Yaita)
   ちっちゃい実がかわいかったです。
歌はこちら↓↓

2009/07/12

アボカド バンザイ ¡Viva la palta!

うかつでした(>_<)
大好きなアボカドチーズはちみつベーグルを焼こうとしたら、 新居のコンロに、魚焼きグリルが付いていないことに気付いたのでした。
悲しい、悲しすぎる。 今まで住んだ家にはすべて付いていたので、そんなこと確認すらしませんでした。 魚焼きグリルで魚を焼いたことはないのだけど、 アボカドチーズはちみつベーグルを焼くのに欠かせない代物でした。
あぁ~、無念!!
¡No puede ser! Cuando iba a tostar mi favorito bagel con palta, queso y miel me dicuenta de que no hay parrila para pescados en mi cocina de mi nueva casa. ¡Qué triste! Había parrilla para pescados instalada en todas las casas que había vivido antes, así que ni siquiera presté atención esta vez. Nunca he usado la parrilla para tostar pescados, pero no podía faltar en mi vida sólo para tostar el bagel con palta,queso y miel. Me gusta la palta tanto que inventé una receta final de la palta↓↓
アボカド大好きな私が研究を重ね、あみ出した究極の一品↓↓ ベーグルがないときは、食パンで代用↓↓
♪作り方♪
①食べ頃になった アボカドをマッシュする
②①を輪切りにしたベーグル(又はパン)の上に厚~く塗る
③チェダーチーズをスライスして乗せる
 ※とろけるチーズや他のプロセスチーズじゃダメです!
④トースター(又は魚グリル)で、チーズがとろけるまで焼く
⑤最後にたっぷりのハチミツをかけて出来上がり
♪Receta♪
1.machacar la palta que está madura y hacer una pasta.
2.untar el bagel cortado en rodajas(o el pan si no hay bagel) con la pasta de palta.
3.poner las lonjas de queso natural encima.
¡ojo! No use el queso procesado.
4.tostar el bagel con palta y queso en el tostador(o la parrilla como yo) hasta que el queso esté blando y un poco quemado.
5.echar la miel encima

アボカドにハチミツ?と思われたそこのアナタ、
アボカドは野菜ではない、「くだもの」なのです!!
チーズとハチミツの組み合わせは、ボリビアで覚えました。
驚きの美味しさですよ。
Tal vez algunos japoneses pensarán que la palta no combina con la miel porque piensan que la palta es una verdura. Pero no es cierto, es una fruta! Aprendí el conjunto de queso y miel en Bolivia. Es una combinación muy buena, sorprendente.

アボカドを週に1~2回食べていたら、
触感と色味で、食べ頃を120%当てられるようになりました。
Como comía la palta unas veces a la semana, fui experta de adivinar la palta a punto antes de pelarla.
あんまり好きすぎて、こんな本も買いました↓↓
「アボカド バンザイ!」(アボカド攻略本です)
色々試したけど、やっぱりアボカドチーズはちみつベーグルは最高!
残念ながら、この家に住んでいる間はオアズケの一品となりました。
Amo la palta tanto que me compré un libro de cocina,"¡Viva la palta!". Intenté varias recetas en el libro, pero la de bagel es la mejor. Lamentablemente mientras viva en esta casa sin parrilla ni tostador, tengo que dejarlo...

2009/07/11

おさんぽ

近所をブラブラしてみました。
すると、赤いお花発見。
まぁ不思議、なんとヒマワリではありませんか↓↓
こういう品種?それとも突然変異??
傍らに、黄色いヒマワリも元気に咲いていました↓↓
ヒマワリって大きければ大きいほど元気出る。
手作りの木製ポストのあるお宅↓↓
郵便屋さんもニッコリ(たぶん)。
そしてこれが、この街の象徴、「階段」です↓↓
この街では、これを上り下りしないと目的地へたどりつけません。
素敵なカフェとかパン屋さんとか公園とか、あればいいのになぁ。
歩いても歩いても、この街にあるのは家と階段。
きっと、「節約」と「健脚」を与えてくれるに違いない。

2009/07/09

1リットルの涙

人は過去に生きるものにあらず、今できることをやればいいのです

小学生の時に読み損ねて、今更だけどどうしても読みたくて、図書館で借りました。今は単行本が出ているんですね。

泣き虫の私は、半ページに1回は泣きました。
土曜の夜、満員の終電、グスグス泣きながら、ティッシュで鼻かみながら立ち読みしました。でも、終電の乗客は酔っ払いばかりで、みんな自分の睡魔と戦っていて、他人に無関心。ラッキー。

読み始めてすぐに気付いたのは、文章が「三河弁」だったこと。我が故郷、愛知県の方言です。一気に親近感がわきました。
作者の亜也さんは愛知県の方だったんですね。

あまりにも有名な本だから今更説明する必要はないのかもしれませんが、この本は、著者の亜也さんが「脊髄小脳変性症」という病気と闘い、その日々を綴った日記を、亜也さんのお母さんが出版したものです。

「脊髄小脳変性症」とは、小脳や脳幹から脊髄にかけての神経細胞が破壊され、次第に体を思うように動かせなくなる神経難病です。
病気は長い間に少しずつ進行し、歩行や言語が不自由になり、病気の進行するスピードも病型により様々で一概には言えませんが、最終的には寝たきり状態になることが多いそうです。
原因不明、治療法なし。ただしいくつかの症状は軽減できます。

亜也さんは、15歳(中学生)で発病し、25歳で亡くなりました。
20歳でペンを握れなくなり、日記は終わっています。
日記には、亜也さんの言霊がいっぱい宿っています。
というか、そのものです。

「 お母さん、わたしのような醜い者が、この世に生きていてもよいのでしょうか。 わたしの中の、キラッと光るものをお母さんなら、きっと見つけてくれると思います。
教えてください。導いて下さい。」

「死ぬことばかり考えてこわいのです。
動けんもんね。マイッタ。
生きたいのです。
動けん、お金ももうけれん、人の役に立つこともできん。
でも生きていたいんです。」

「人はそれぞれ言いしれぬ悩みがある
過去を思い出すと涙がでてきて困る
現実があまりにも残酷できびし過ぎて
夢さえ与えてくれない
将来を想像すると、また別の涙が流れる」

「病室からいま見る青い空
我に一筋の希望を与えん」

2009/07/07

SAMBO!!

日曜日、SAMBO(サンボ)を観に行きました、マンボ!!
今回、友人が出場するとのことで、応援に行ったのです。
私はサンボを観るのも聞くのも初めてでした。
そもそも、サンボとはロシアの格闘技なのだそうです。
1938年、全ソ連体育スポーツ委員会は民族格闘技(グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン、タジキスタン、ウズベキスタン、モンゴル、そして日本)を研究し、各共和国の学識経験者を一同に召集し,新しい格闘技を作り上げ、名称を「サンボ」として今日にいたっているそうです。

また、旧ソ連には、ロシア人のように1億を越える大民族から、シベリアに残存する千人に満たない少数民族まで居住していましたが、当時それらの人々に国民意識を持たせる必要がありました。そのためサンボを「国技」として制定し、旧ソ連国民意識を高める目的として連邦大会や国際大会などを開催し、ソ連全土のみならず世界的にサンボ競技として発展させていったそうです。

サンボ誕生の原点には日本の柔道が横たわり、そこにソ連の民族格闘技の利点で味付けされたことは事実であり、柔道とサンボは兄弟のような関係と言えるのだそうです。
(by「日本サンボ連盟」)

もともと私の友人は柔道選手でした。大学卒業後、現役選手は引退し、指導の方に関わっていたのですが、もう一度(というかまだまだやれる!)チャレンジしようと、約5年ぶりの現役復活を果たしたのでした。
彼は柔道選手ですが、前述のようにサンボと柔道は似ているので、柔道選手がサンボの大会も出場している場合が多いのだそうです。

今回は全日本選手権だったので、優勝すれば世界選手権への出場権を獲得できます。
選手のプロフィールを見ていて目に付くのは、30代の選手が多いこと。しかも、30代後半。40代の人もいました。
そうなんです、サンボは家庭や仕事を抱えながら、それでも格闘技が好きでやめたくない!っていう人たちがやっている競技なんです。
だからか、試合を見ていると、それぞれの選手の背負う、鬼気迫る「凄み」のようなものを感じます。きっといろんな肉体的精神的制約を乗り越えてきたんだろうな。オーラがメラメラとすごいんです。その姿から、チャレンジすることの大切さ、みたいなのを感じました。
私の友人は、これこそがサンボの魅力なのだと言っていました。

柔道選手の中には、サンボを邪道と考え敬遠する人もいて、私の友人もかつてはそうだったとのことでした(道着もダサいし)。でも、サンボの魅力を知ると、柔道かサンボかというこだわりが消えたそうです。

大会入賞者の表彰式後↑↑
残念ながら、私の友人はここには入れませんでしたが、これからこれから!
今日が再スタートなのです。再びチャレンジしているということ自体、尊敬。始めることに遅すぎることはない、年齢は言い訳に過ぎない、と痛感。

アスリートたちのカッコイイことったらありませんでした。
筋肉ムキムキ♪ 腹筋、割れ過ぎ!
過酷な減量話やトレーニングの話を聞いて、私のダイエットもなんとかせねばと思いました。

2009/07/06

新天地 Un mundo nuevo

今回の引っ越しでの荷造りは、かつてなくスムーズに済んだ。
今までは、「前日に徹夜で荷造り」がお決まりだったけど、今回はぐっすり眠る余裕があった。私も学習したのだ。
というか、それもそのはず、横浜へ越してたった4か月半、荷物はまだ前回の引っ越しで段ボールに詰められたまま収納されていたのだから。
今回はその開封されていた段ボールをガムテープで止めただけ・・・。
横浜での生活は何だったのだろうと、戻ってこない敷金礼金を憎らしく思う。
Me mudé de casa porque conseguí un nuevo trabajo en otra ciudad. En esta mudanza el empaque marchó sin dificultad por primera vez. Miles de veces me había cambiado de casa y todas las veces pasé la noche anterior sin dormir para empaquetar. Esta vez dormí bien la víspera. Por fin aprendí.
Era natural que no me costara mucho empaquetar, ya que todavía la mayoría de mis pertenencias estaban en las cajas de cartón porque mi anterior mudanza fue hace sólo 4 meses atrás. Esta vez lo que hice fue solamente cerrar estas cajas con cinta adhesiva. Me pregunté para que vine aquí a Yokohama guardando rencor al depósito y los honorarios que no me devolvieron.

新しい街は近かった。10キロも離れておらず、引っ越し屋の車のナビだと所要時間20分。 だけど私には新天地。
母が370キロ離れた愛知から手伝いに来てくれた。所要時間3時間。手土産はマスクとイソジンだった。新型インフルエンザ予防に、とのこと。来なくていいよと言ったけど、ホントは来てくれて嬉しかった。 No sabía que mi nueva ciudad era tan cerca a solo 10 km, se tarda solo 20 minutos en coche. Pero para mí es un mundo nuevo. Mi madre vino a ayudarme desde 370 km de distancia tardando 3 horas. Me trajo dos regalos, las mascarillas y las gárgaras para prevenir la nueva influenza. Le dije a mi madre que no hiciera falta venir desde tan lejos, pero a decir verdad, me alegré de verla.

思えば、地名に「丘」とか「台」とか付くところにばかり住んでいる。今回の家も丘の斜面にあり、1階へたどり着くためには急な階段を上らないといけない。建物は22部屋あるものの、自転車を持っている住人は私が初めてだとか。ガランとした自転車置き場にただ1つある私の自転車。「この街は坂だらけだから、どうせ使わなくなりますよ」と不動産屋さんは笑い、「錆びないうちにフリマで売ったら」と母。もう錆びてるんだけどね。そして後輪はパンクしてるんだけどね…。
Me doy cuenta de que viví muchas veces y esta vez también en diferentes direcciones que llevan el nombre de colina. Mi nueva casa está en declive y hay que subir las escaleras muy empinadas y largas para llegar a la entrada. El edificio tiene 22 apartamentos, es decir, tiene 22 habitantes, y soy la primera y la única persona que tiene bici. El estacionamiento para las bicis está al lado del apartamento, o sea despues de subir las escaleras. Ahora es mi propio estacionamiento. El agente inmobiliario me dijo,"la bici es inutil, mas bien es una carga en esta ciudad". Mi madre me dijo,"¿por qué no la vendes antes de oxidarse?" Ya se oxidó por haber estado expuesto a la intemperie 4 meses en Yokohama y además una rueda está pinchada..

丘の上にある建物だから、窓からの景色はなかなか。
Como la casa está en la colina, la vista de la ventana es bonita.
ベランダから、丘の下を歩く人々を人間ウォッチング。誰に頭上から見られているか分からない世の中ということだ。
鶯が、アメニモマケズ、夜中以外は一日中鳴いている。
Observo la gente que pasa abajo en el balcón. No sabemos quién te mira desde arriba,¡Cuidado!
Veo muchos árboles y los ruiseñores japoneses trinan a pesar de la época de lluvia.
緑が多いと虫も多い。さっそく蚊が室内に侵入し、今年初めて私の血を吸った。
蚊も蛾も我慢するから、ゴキブリだけはでないでおくれ。
これ、今年の七夕の短冊に書こう。
Donde hay árboles es lógico que vivan bichos. Un mosquito entró a mi casa y chupó mi sangre por primera vez en este año. Aguantaré todos los bichos a cambio de las cucarachas. Voy a desearlo en la fiesta de las estrellas Vega y Altaír que se celebra el 7 de Julio.