2011/05/26

100,000年後の安全 Into Eternity

昨日は水曜レディースデー(映画1000円!)ということで、「100,000年後の安全」というドキュメンタリー映画を観てきました。http://www.uplink.co.jp/100000/

チケット売り場が大行列で焦りましたが、この作品の観客はガラガラ。こんなに大衆の関心が低いとは残念です。

3.11後エネルギー政策の見直しが注目を浴びている今、そしてG8サミットがフランスで始まった今、ぜひとも多くの人に見てほしい映画だと思いました。

人間の愚かさに改めて失望し、
そして私たちは、踏み入れてはいけない人類史上最大の過ちを犯してしまったことに恐怖を覚えてなりません。
もはや後戻りできないのです。
自分は関係ないと言ったところで、地球上に住んでいる以上、運命共同体なのです…。



以下、オフィシャルサイトからの抜粋です↓

『本作品はフィンランドのオルキルオトに建設中の、原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場 "オンカロ(隠された場所)" と呼ばれる施設に、世界で初めてカメラが潜入したドキュメンタリー作品です。
高レベル放射性廃棄物は安全な状態になるまで、10万年間かかると言われています。
フィンランドでは、固い岩盤を掘削し地下500メートルにまるで地下都市のような巨大な施設を、自国の原発から出る放射性廃棄物の最終処分場として作る事を計画しています。
現段階では、正式に運用されるのは2020年を予定しています。

本作では、安全になるまで10万年を要する放射性廃棄物を、果たして10万年間も安全に人類が管理できるのかという問題を、フィンランドの最終処分場の当事者たちに問うています。』

2011/05/22

クラシック・エイド Concierto de beneficencia

去る5月18日、東京オペラシティにておこなわれた「クラシック・エイド」(東日本大震災復興支援チャリティーコンサート)へ行ってきました。
http://www.japanarts.co.jp/html/2011/charity/index.htm

El día 18 de mayo fui al concierto benéfico de la música clásica en Tokyo Opera City para apoyar las víctimas del terremoto y tsunami del 11 de marzo.

日本を代表するクラシック界の錚々たるメンバーが多数集い、第一部は「祈り」をテーマに、第二部は「再生」をテーマに楽曲が選曲されていました。演奏者は一人1曲で交代。こんな有名人のオンパレードを見ることは二度とないでしょう。
Participaron los músicos japoneses más distinguidos e hicieron un programa con el tema de la oración en la primera parte y de la restauración en la segunda parte. Cada uno tocó una música por turnos. Ya no podré volver a ver una presentación como esa noche, una gran colección de los músicos famosos de la música clásica.

『震災直後、その悲しみの前で音楽は無力であり、音楽家としてできることは何もなかったけど、あれから2か月以上が経ち、被災者の中に少しずつ、また音楽を聴きたいと思う気持ちが戻ってきている今だからこそ、自分たち音楽家ができる支援をしたいと、このようなチャリティーコンサートを企画した』とのことでした。
だけど、会場に来ているのは私を含め、被災者ではないはず。
被災者を想い、祈り、励ましたいと奏でられる音楽を聴くのが私たち「“非”被災者」であることに違和感を感じました。
自分が払ったチケット代が義援金になるとは言え、こんな素敵な音楽を聴いて楽しませてもらって、それでこれが「支援」だなんていいのかな、と。
La presentadora dijo, "después del desastre del 11 de marzo, la música era impotente en frente de la tristeza de las víctimas y como un músico no tenía nada que poder hacer. Pero pasaron más de 2 meses y ahora poco a poco están volviendo las ganas de escuchar música a las víctimas. Creimos que ahora es el momento de reunirnos entre los músicos para apoyar las víctimas a través de la música y decidimos en hacer el concierto de beneficencia."
Pero seguramente en esa sala de concierto no había ninguna víctima. Me pareció extraño que escucharamos música para sentir, rezar y animar a pesar de que no somos víctimas. Empezé a dudar si está bien esta manera de apoyar ; escuchar música muy buena de los mejores músicos y disfrutarla en nombre de "donación".

ところが、「“非”被災者」であるはずの私も、今回の震災で受けたショックは、多少なりとも心に傷をつけていたようです。私の傷なんて、被災者の方々の苦しみの前では微々たるものではありますが、コンサートの音楽を聞いているうちに心が癒されていくのを感じたのでした。
No soy víctima, sin embargo, parece que yo también tenía unas heridas en el corazón por el shock del desastre indirecto aunque las mías no son nada comparada con las víctimas. Me di cuenta de que la música curaba mis heridas.

途中の休憩のあと、後方で突如ドヤドヤざわめきが。
振り返ってみると、なんと天皇陛下と皇后がご到着!!
大きな拍手が沸き起こり、お二人が手を振ってご挨拶。
私は普段、天皇とか全然興味ないし、私たちの税金で暮らしてるなんて!とやや批判的に見ていました。
震災後に天皇と皇后が被災地を訪問されて、被災者の方がありがたがっているニュースを見てもその気持ちが理解できなかったし、むしろその公費を復興支援に回した方がよっぽど有効的と思っていました。
Después del intermedio, de repente se produjó un murmullo entre los espectadores atrás de la sala. Vovlí la cabeza y vi al Emperador y a la Emperatriz llegar. La sala estalló en aplausos y ellos nos saludaron girando la mano. Normalmente no me interesaba nada la familia imperial, más bien la criticaba. No podía entender porque las víctimas se sentían tan agradecidas de la visita de ellos cuando vi la noticia en la TV. Me decía que sería mejor utilizar los gastos públicos de su visita para restaurar las zonas dañadas por ejemplo.

そんな私だったのですが、天皇と皇后のお姿を見たときはなんだかジーンとしちゃいました。
普段は感じない日本人としての「愛国心」のようなものが、やはり心の根底にはあるんでしょうか。
被災者の苦しみに、せめて「思いを馳せたい」「寄り添いたい」と思うのは、一般庶民も天皇も同じなんだな、となんだか近い存在に感じて嬉しかったのでした。
Resulta que yo también me he puesto emocionada y agradecida cuando vi al Emperador y la Emperatriz. Tal vez dentro de mi corazón yo también tengo algo patriótico que normalmente está escondido. Creo que me alegré de verles porque me parecía que no había diferencia entre nosotros para querer compartir el dolor de las víctimas y me sentí cerca.

結局、天皇と皇后にぶんぶん手を振っていた私でした…。
Al fin, yo también les saludaba girando mucho las dos manos.