2009/06/30

父の日

今日は私にとって締めくくりの日。
次の仕事がようやく決まり、引っ越しをする。
今度こそ続けようと祈りながら荷造り。
気分転換がてら、思い切って長い髪を切る!
その前に、パーマかけてみた。
タレントのYOUまたはPuffy目指して
・・・結果、ヒツジの毛のように剛毛化した。 次はボウズにするかなー。

今日は私の父にとっても締めくくりの日。
40年以上勤務した職場で、ついに定年退職を迎えた。
私の人生より長い時間を、同じ場所で働き通した父は本当にスゴイ。
それは間違いなく私たち家族を養うためなのだから、頭が上がらない。
父が乗り越えた大波に比べれば、私の波乱もちっちゃな波に見えてくれる。

父に送ったメールの返事。
「ここまで来れたのは家族のみんなの支えがあったからです。
職務の引継ぎや退職の手続きやらでこの1ヶ月を過ごしました。
まずはこれまでのことを振り返り、整理したいと思っています。
今日は引っ越しだね。無理をしないようにね。」

支えてあげるどころか、私は生まれてから30年間反抗期で、支えとは真逆の関係だった。
間違いなく、私が家族関係を崩した張本人。

大人になって働いてみて、初めて分かるのは、忍耐の連続であること。 自由であることを謳っても、つきまとうのは「責任」。

全てを乗り越えて今日を迎えた父に心から敬意を表したい。

2009/06/29

As slow as possible

明日で2009年の上半期も終わり。
早い、早過ぎる。
そんな時間の流れを考えていたら、ラジオで作曲家&ピアニストJohn Cageを題材にしたエッセイが聞こえてきた。

私はこの作曲家のことは最近知ったばかり。
代表作は、『4:33』(4分33秒)。
グランドピアノの前に座り聴衆の視線を浴びながら、4分33秒間、沈黙するというもの。
この沈黙の間も「無音」であるわけではない。
聴衆が無音の中にある「音」を聴きとること、それがこの作品。
試しにお聴きください↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=gN2zcLBr_VM

そして、今回初めて知った曲は、「Organ²/ASLSP」。
ASLSPは「AS SLOW AS POSSIBLE 」(できるだけ遅く)の略。
ASAPにしなかったのが、天才っぽい。
「AS SOON AS POSSIBLE」と間違われないためか?
その曲は、ドイツの教会にて2001年9月5日から2639年にかけて演奏されている。今この瞬間も機械によって演奏されているそうだ。

「無音パートが1年半続き、2003年には最初のコードが鳴らされた。2006年にコードが変わり、2008年に6番目の音が鳴り、その音楽は、まだ続いているどころか2639年まで終わらない。
600年以上かかる音楽を、馬鹿馬鹿しく思うとき、同時に、分刻みで動く一日も同じくらい馬鹿馬鹿しく思えてくる。
おそらくそれが、作曲者John Cageの狙いなのだ。
“AS SLOW AS POSSIBLE”
その曲は、今日ものんびり、続いている。」

ラジオはこう語った。
うーん・・・。
そこまでゆっくりしていたらちょっと退屈そうだ。
私は「AS PURE AS POSSIBLE」にしよう。
略して「APAP」。

2009/06/27

We are the world

マイケル・ジャクソンが亡くなって、蘇るのはこの曲。
中学だったか、高校だったか、英語の授業でこの曲を聞いて、感動してその日に地元のCDショップへ駆けつけたことを思い出します。
洋楽を聴くことで粋がっていた私は、
「マイケル・ジャクソンのWe are the worldください」
と店員さんに得意になって尋ねたのでした。
「は?・・・あぁ!あれはチャリティーイベント用の限定品だから、もう置いてないですよ。」
と言われた時の衝撃と恥ずかしさは今でも忘れません。
あんな田舎のちっちゃなショップ定員がそれを知っていたのも、今となっては驚き。 あの店員さん、ただものじゃなかったのかも。
当時、既にイベントから10年くらい経っていたのでした。
そうとも知らず、新曲を探すかのように尋ねた幼少の頃の私。

時代は変わった。パソコンで誰もが動画サイトを見れるのだから。
曲発表から24年の年月を経て、この曲をYou Tubeで発見↓↓ 
鳥肌立ちました。
http://www.youtube.com/watch?v=WmxT21uFRwM

そしたら、なんとPavarottiが歌っているのも発見↓↓
こちらも亡くなってしまったけど。本当にいい曲だ。
http://www.youtube.com/watch?v=Wb1NHZ-euAc&feature=related

there comes a time when we heed a certain call
今こそあの声に耳を傾けるんだ
when the world must come together as one
今こそ世界が一丸となる時だ
there are people dying
人々が死んでゆく
and it's time to lend a hand to life
いのちのために手を貸す時がきたんだ
the greatest gift of all
それはあらゆるものの中で最大の贈り物
we can't go on pretending day by day
これ以上知らん振りを続けるわけにはいかない
that someone, somewhere will soon make a change
誰かが、どこかで変化を起こさなければ
we are all a part of god's great big family
僕らはすべて神のもと、大きな家族の一員なんだ
and the truth, you know,
本当さ
love is all we need
すべての人に必要なのは愛なんだ

we are the world, we are the children
僕らは仲間、僕らは神の子供たち
we are the ones who make a brighter day
明るい明日を作るのは僕らの仕事
so let's start giving
さあ今こそ始めよう
there's a choice we're making
選ぶのは君だ
we're saving our own lives
それは自らのいのちを救うことなんだ
it's true we'll make a better day
本当さ、住みよい世界を作るのさ
just you and me
君と僕で・・・

send them your heart so they'll know that someone cares
心が届けば支えになってあげられる
and their lives will be stronger and free
そうすれば彼らも力強さと自由を手に入れるだろう
as god has shown us by turning stones bread
神が石をパンに変えて示してくれたように
so we all must lend a helping hand
僕らもみんなで救いの手をさしのべるべきなんだ

REPEAT CHORUS:

when you're down and out, there seems no hope at all
見放されてしまったら、何の希望もなくなるものさ
but if you just believe there's no way we can fall
負けたりしないと信ずることが大切なんだ
let us realize that a change can only come
変化は必ず起こると確信しよう
when we stand together as one
僕らがひとつになって立ちあがればいいんだ



「WE ARE THE WORLD」
それは、すべての障害を越えて、いつの時代でも真実でなくてはならない尊い命題であります。

2009/06/26

募集!

部屋の片づけをしていたら、でてきたでてきた!
私の愉快な仲間たち♪
紹介します。 向かって右から、
モーモーさん、スパイダーマン、ライオン様、ぶーちゃん、ウッキー


リャマ(白)、リャマ(グレー)、コンドル、チョリータさん、チョリートさん↓
こちらは、ボリビアンファミリーシリーズ
余ったふたり↓↓ キリンさん、そしてクジャク?

どなたか、一緒に人形劇しませんかー?
オールスター、フル出場で。
スパイダーマン役は私やります!

2009/06/25

おくりびと Okuribito

ようやく、念願の「おくりびと」を観ました。

「モッくん」「チェロ」「久石譲」は私の大好きなモノ(ひと)。BINGO!
泣かないわけがない。
想像通り、ティッシュが1/2箱なくなりました。
現在もいくつかの映画館ではロングラン上映中のようです。
映画通の友人には、「音楽が美しいからぜひ大画面と大スピーカーで観るべし」と言われたのですが、私の場合、やっぱり家でDVDで見て正解でした。こんなに号泣して鼻かんだりできませんから・・・。

まだ自分の確固とした死生観を持てないでいる私。
そもそもそんな日は来るのだろうか。
それでも現実の生活で「死」と向き合うことになる。
この映画では、「死」を考えることを通して、どう生きるかという「生き方」を問われているように感じました。
そういうことを考える年頃なのかもしれませんが、いろんな見解がある中、自分なりの死生観を持てるようになりたいものです。

2009/06/23

天の声はどこから?

この写真は、今日の朝日新聞の38,39面↓↓
今日は沖縄の「慰霊の日」。
戦後64年。沖縄戦、そして戦争の悲惨さを忘れず、二度と同じ過ちを繰り返さないように、負の歴史を忘れるのではなく語り継いでいくことが、次世代の私たちの任務。
と思うのに、こんなちっちゃなコメントが載っていたのみ(黄色枠内)。
「ピアノ買取販売」の広告の方がよっぽど大きいではないか。
天声人語には、『「慰霊の日」を沖縄だけのものとせず、悲劇の奥から聞こえる教訓に耳をすましたい。』
と書いてあるのに、中をめくってみたらこのありさま。

2009/06/22

堕落の先にあるもの

失業して約25日。
まだ再就職先は決まらず。

平日、ハローワークに4か所も行ったけど、どこもディズニーランド並みに混雑していた。
相談受けるのに2時間半待ち。スプラッシュマウンテン並みだ。

タイムリミットがあるというのは辛い。
今月末で横浜の住居を退居することになっていて、それまでに再就職できなければ「無職&ホームレス」を初体験するハメになる。

片っぱしから病院に電話して求人を尋ねる。
その数が膨大すぎて、どこにかけたのか分からなくなりつつあるので、リストを作ってみた。
・問い合わせて求人がなかった病院=31件
・問い合わせて求人があるから見学したけど辞退した病院=5件
・前回、前々回の就活で見学したけど気に入らなかった病院=13件
求人がないのだから、「私を不採用」というのとは意味が違うワケだけど、やっぱり凹む。

そうだ、「治験したい!」とおねだりして闇ルート(?)で手に入れた、不穏時用の精神科薬があったではないか。
試しに飲んでみた。
副作用の眠気が強くて、午後3時から翌日の朝11時まで寝た。
時間を無駄にした、と余計不穏になった・・・。

徐々に生活リズムは狂い、昼夜逆転。
真夜中の1時から3時が私のピアノレッスン時間となった。
おかげで無意味にやたらピアノが上達した。
発表会があれば今すぐ出れる。
やっぱり音楽療法は有効だ、と思ってみたり。

音楽療法と言えば、たまりにたまった授業のDVD。
今まで「時間がない」を言い訳にためこんでいたけど、時間があってもやっぱり観ないことが判明。
ようやく分かった、時間があってもやらないもの=勉強、掃除、料理、ダイエット。

こんな堕落した生活の私に光が差しのべますように、と昨日は日曜ミサに行ってみた。こんな時だけお祈りされて、神様も気の毒に思えた。

昨日は暦では夏至。
雨降ってて夏至だろうが関係なかったけど。
夜、NHK「Save the Future」という番組の「エコうた」を見ながら、キャンドルナイトならぬ、キャンドル無しナイト(一応電気は消した)。
一青窈の名字が「一青」で名前が「窈」であることを初めて知った。
新曲「うんと幸せ」に、もらい泣き。
私も今日を生きていることに幸せを感じられた。

2009/06/14

ホタル

こどもの国へ行ってきました。
たぶん、全国津々浦々に「こどもの国」的なものはあるのでしょうが、私が行ったのは、横浜と町田をまたぐ「こどもの国」です。

「こどもの国」は、1959年(昭和34年)4月の皇太子殿下(現:天皇陛下)のご結婚を記念して、全国から寄せられたお祝い金を基金に、1965年(昭和40年)5月5日のこどもの日に開園したそうです。
外観(入場ゲート)は、しなびた感じなのですが、入ってみると、親子がうじゃうじゃ。44年の時を経て、今だに賑わっていました。
中に入ると、緑がいっぱいで、とっても気持ちいいです。
巨大な森林公園って感じです。
なぜか、牧場がありました♪
牛が暇そうにしていました。食む草もないしね・・・。
ここのお乳を搾って作ったソフトクリームがバカ売れしてました。
もちろん、私も食べた♪
ヨシフジコさん、素敵なお名前ね★
ヒツジもいました。餌(売っている)をやる人間にたかっています・・・。

ヒツジの夫婦?手をつないでいるみたい。

園内は広くて、いかだを漕いだり、サイクリングしたり、プールがあったり、バーベキューができたりします。幸せオーラに包まれていました。

夜はホタルを見に、近くの田んぼへ行ってきました。
ホタルで有名な場所らしいのです。連れて行ってくれた友達曰く、去年はいっぱい飛び交い、それは見事に光っていたそうです。
しかし・・・到着するや否や降り始めました、雨。
雨粒がホタルのようにピカピカ。一匹も飛びませんでした。
来年リベンジするぞー!
ってゆーか、今年は去年のリベンジだったのに、2年連続ハズレちゃいました。

2009/06/13

マトリョミン

目からウロコが出る、空いた口がふさがらない、とはこのことでした。
これは、単なるマトリョーシカ人形ではありません↓↓
なんとなんと、楽器なのです!! その名も「マトリョミン」。
ロシアの楽器「テルミン」を、木製人形マトリョーシカに内在してしまった、日本人考案楽器「マトリョミン」。
つまり、「テルミン」+「マトリョーシカ」=「マトリョミン」なのです。
友達のいーちゃんからお招きいただき、その「マトリョミン」とやらの演奏会に行ってきました↓↓ ちょっと分かりにくいけど、演奏者が各自、マトリョミンを片手に持っているのがおわかりでしょうか。
これ、演奏している姿です。
人形片手に"気"を送る怪しい宗教団体にしか見えないけど、そうではありません。
会場は教会でしたが、キリスト教も背後に映っているパイプオルガンも関係ありません。

そもそも「テルミン」とは何なのかと言いますと、1920年、ロシアのテルミン氏により発明された世界最古の電子楽器なのだそうです。テルミンが普通の楽器と違う最大の特徴は、テルミン本体に手を触れることなく演奏するところです。テルミンの本体からは、通常2本のアンテナがのびており、それぞれのアンテナに近付けた一方の手が音程を、もう一方の手が音量を決めます。わずかな静電容量の違いを演奏に利用するため、演奏者自身が余計な動きをしたり、周辺環境(風や人の動きなど)によって、音がぶれていしまいます。なので、一般の音楽演奏のようにノリノリに体を揺らすことは厳禁で、固まった姿勢、無表情で神経統一した様相で演奏するのであります。

「マトリョミン」は、そんなテルミンを可愛らしいマトリョーシカ人形に内在してしまった、日本人考案の楽器なのです。http://mandarinelectron.com/

ただでさえ怪しい楽器、怪しい演奏法であるうえに、それがマトリョーシカの姿をしているのだから、怪しさ増大。合奏するときは、自身の音を聞きとるために、聴診器(!)をマトリョミンにつけて聴きながら演奏しています。さらに、昭和初期の壊れたラジオみたいなアンプを床に置きます。

演奏している側は大マジメに演奏しているのですが、聴診器にマトリョーシカ、壊れたラジオを備え、仏頂面で"気"を送っている姿を見たときの衝撃ときたら、!?!?!?ですよ。 サン・サーンスの「白鳥」なんぞ演奏してくれました。 これは、いーちゃんの同僚で、演奏に参加していた人↑↑
あだ名は「テルミン」。ちなみに、唯一の男性奏者でした。演奏法をデモンストレーションしてくれました。
でも、先生も男性なんですよ↓↓

悪いとは思ったけど・・・、大 爆 笑。
こんな奇妙な姿、正気で考えたら笑わずにはいられないでしょう。
これは、必見ですよ。なんだか視野が広がった気になりました。
世の中いろんな変わり人がいるもんだ、と自分が凡人であることに若干安心を覚えました・・・。

参考までに、YouTubeで見つけた映像をぜひご覧ください↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=O6LU2VxnTFw&feature=related


2009/06/09

白馬に出会う旅

月曜日、友達のアッちゃんと登山に行きました。
近いのにまだ一度も行ったことのなかった高尾山。
高尾山から陣馬山まで縦走7時間コースに挑戦!
朝から小雨が降っていました。やっぱり私は雨女・・・。 ケーブルカーで、途中まではスーイスイ♪ 
朝9時、登山開始!
降りたら待っていた景色・・・↓↓
霧で半径数メートルしか周りが見えない。
30分もしないうちにあっけなく高尾山頂へ到着↓↓
その後は「陣馬山」へ向かいます。
雨だし寒いし月曜だし、ほとんど登山客がいません。
途中にある山小屋もすべて閉まってました。
なんだか、おどろおどろしい↓↓
霧で景色を眺めることもできず、休憩なしでひたすら歩くしゃべる。
途中で通過した小仏峠↓↓
なんだかジブリ映画にでてきそうな光景だ。
お昼過ぎ、ついに陣馬山登頂↓↓
360度のパノラマと富士山が展望できるらしいけど、見えたのは霧、霧、そして霧・・・。
陣馬山の頂上には、なんと、白馬が待っていました↓↓
私はこの馬に会いに登ったのです!
残念ながら王子様はいませんでした。
帰り道、小雨が止みました↓↓ やれやれ。
夕方4時、下山!
実に7時間歩き続けました。
全身がガクガクです。お尻の筋肉まで痛い。
帰りはお決まりの温泉へ。
藤野温泉病院が併設する「東尾垂の湯」へ行きました。http://www.higashiotarunoyu.jp/
着いたら16:45。17時から入湯料が半額になると聞き、15分間、扉の外で待ちました。疲れた体もほぐれて幸せ~。
帰りは無料送迎バスで駅へ向かいました。温泉病院の職員の送迎バスも兼ねており、私たち以外は全員、仕事帰りの職員さん。お仕事ご苦労様です・・・。

景色が見えなくて残念だったけど、やっぱ山はいいな~。
澄んだ空気と静寂(鶯が良いノドを披露)に癒されました。

2009/06/06

The road to the Guantánamo

見逃したけどどうしても観たかった映画、パート2。
「グアンタナモ、僕達が見た真実」(2006、イギリス)。
この映画は、実話をもとに制作されたものです。
http://www.roadtoguantanamomovie.com/2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件。
その後、アメリカ政府によって、ウサマ・ビン=ラディンとアルカイダに首謀者の疑惑がかけられる。
そしてアメリカ主導で始まったアフガン攻撃。アメリカ政府によって「対テロ戦争」の一環と位置づけられ、国際的なテロの危機を防ぐための防衛戦として行われた(ことになっている)。 イギリスを始め多くの国がこのアメリカ政府の攻撃に賛同した(日本も!)。

グアンタナモ収容所はキューバにある米軍基地内にあります。
ですが、そこはキューバでもなく、アメリカでもなく、アメリカ軍法のみが適用される、「治外法権」のとんでもない収容所なのだそうです。
なのでここの収容者は「捕虜」としても「容疑者」としても権利を保障されない。
本来、アメリカ刑法の「容疑者」であればアメリカの権利章典に定める容疑者の権利が保証され、弁護士をつけることが認められる。また、「捕虜」であれば、ジュネーブ条約が適用され、拷問などが禁じられる。
しかしグアンタナモの収容者は、テロリストと疑われれば、裁判にかけることもなく、軍の独断と偏見で長期拘留されてしまうのです。
さらにアメリカと国交のないキューバ国内にあるため、マスメディアの監視もできないのだそうです。

映画では、パキスタン出身イギリス人男性仲良し4人組が、アフガニスタンをのんきに旅行中、突如紛争に巻き込まれ(うち1人はアフガニスタンにて死去)、拘束され、グアンタナモへ送られ、拷問を受けることになるのです。
アルカイダのメンバーであると認めるまで続く拷問、ビン・ラディンの消息を知っていると吐くまで続く拷問。戦争とは無関係な、平凡な無実の一市民が、拷問から逃れるためには「Yes」と言うしかないのです・・・。

グアンタナモには、イスラム系だというだけで疑惑をかけられ収容されている人達が大勢いるそうです。 これが、「不朽の自由作戦」?

映画のパキスタン人3人は生き延び、2004年に釈放されてイギリスへ帰れました。 映画の中でもたびたび本人が登場し、当時を語るシーンが映っています。 拷問シーン、戦争シーンは、演じているとはいえ、すさまじく描かれています。
これが事実だと言うのだから、人間はなんと愚かなんだろうと思わずにはいられない。
戦争においては、いかなる「正義」も存在しえない、絶対。

現在も存在するグアンタナモ収容所。
オバマ大統領は閉鎖を目指すらしい。果たして・・・?

グアンタナモで、みんなが「グアンタナメラ」を大合唱できますように。

2009/06/04

ペルセポリス Persépolis

1年以上も前のこと、以前教わっていたスペイン語の先生に、「アイの好きそうな映画だよ」と、「ペルセポリス」という映画をお薦めされました。
当時私は忙しい日々で、映画を観に行く暇もありませんでした(「忙しい」という言い訳、今は大キライ!)。 すると先生は、「ペルセポリス」の本を貸してくれました。もともと、原版は漫画本だったのでした。先生がスペインで買ったスペイン語訳のもので、4巻ありました。「忙しかった」ので、週1回スペイン語のレッスンの帰り、電車で読むことにしました。
Hace mas de uno año mi ex profe de español me recomendó una película, "Persépolis". En ese momento estaba muy ocupada y no tenía tiempo para ir al cine. (Ahora me da rabia decir "estoy ocupada" como una excusa".) Entonces él prestó los libros de "Persépolis". Orginalmente se publicó como un cómic. Eran 4 series en español y empezé a leerlo en tren aprovechando en camino a casa de la clase de español. 悲しいかな、漫画であろうと、スペイン語ではあまりよく理解できず、でもおもしろそうだったので、日本語訳のものを購入しました。日本語版は2巻編成でした。
Lamentablemente no podía entender bien el libro en español y me compré el mismo libro pero traducido en japonés.
私は先生に、日本語版を読み終わったらスペイン語版を読む、と伝えました。
すると先生は、「両方同時に読み進めれば?」と言いました。同じページを開いて、スペイン語版を読んで次に日本語版を読めば、理解も深まるし同時にスペイン語の勉強にもなる、というのが先生の案でした。
Le dije a mi ex profe que iba a leerlo en japonés primero y luego leería en español. Entonces él me dijo, "¿por qué no lees los dos libros juntos?" Su idea era abrir la misma página y leerlo en español y luego en japonés para entender mejor y así aprender el español también.

でも私の唯一の読書時間は帰りの電車の中だけ。夜の埼京線は地獄でした。立ったまま押しつぶされて、座れることなんか一度もありませんでした。 すると先生は、「それじゃあ、座ってる乗客の前に立って、その人にどちらか1冊開いて持ってもらったら?で、もう1冊は自分で開く。そうすれば2冊同時に読めるよ。」
・・・もちろん、実行していません。
Pero yo tenía tiempo para leerlo sólo en el tren y la línea que cogía estaba siempre llena. Nunca podía encontrar un asiento y tenía que estar parada muy apretada. Entonces él me dijo, "¿por qué no le pides a un pasajero sentado para que agarre un libro abierto? Así vas a poder leer los dos libros al mismo tiempo, uno que está en tus manos y otro que está en las manos de un pasajero."......No le hice caso.

それから時は経ち、今年のゴールデンウィーク、ようやくこの本を読む時間を作りました。もちろん、先生から借りていたスペイン語版はとっくに読まずに返していたので、自分が持っている日本語版だけですが。
Después de ese momento volví a leerlo por primera vez en mayo, en la "Semana de Oro" de este año. Ya no tenía los libros en español prestados, pues sólo leí lo de japonés.

文句なし、一目惚れです。めちゃめちゃ気に入りました。
No tengo palabras. Me encantó los libros absolutamente.

「ペルセポリス」はイランで初めての漫画作品なのだそうです。
作家はイラン人女性、マルジャン・サトラピ。
イランで実際に起こった革命と戦争を、その時代に幼少期を過ごしたマルジャンが、自身の実話をブラックユーモアと家族愛たっぷりに描いたものです。
その中でキラリと光るのがマルジャンのおばあちゃんの存在です。おばあちゃんはいつもマルジャンに、イラン人としての誇り、人間としての尊厳を教えます。
「いつも毅然としていること、自分に公明正大であること。」
「人を裁くのではなく、許すことを学びなさい。」
Fue el primer cómic de Iran. La autora es una iraní, Marjane Satrapi. Trataba sobre la historia de la revolución y de la guerra en su juventud real, lleno de humor y cariño de su familia. Lo que me llamó la atención fueron las palabras de la abuelita de Marjane que sale en el libro. Su abuelita fue la persona que siempre le mostró el camino correcto a su nieta, Marjane. Ella decía, "Siempre toma una actitud resuelta y se justa. Aprende a perdonar más que a juzgar."

昨日、ついにDVD(http://persepolis-movie.jp/)を借りてこの作品を観たのですが、断然、原版(本の方)をお薦めします!
Ayer por fin ví en DVD pero les recomiendo leer los libros.

2009/06/02

メメント・モリ Memento Mori

こないだ、「障害児の母」の講演を聴く機会を得ました。
現在32歳の重度知的障害の娘を持つお母さんが、32年間の、娘さんとの日々を語ってくれました。
娘さんが生まれるまで、生まれた瞬間、生まれた直後、そしてそれからの闘いの日々を、まるで昨日のことのように鮮明に語っていました。
Tuve la oportunidad de escuchar una charla de una madre que tiene una hija con discapacidad. Su hija nació con retraso mental grave hace 32 años atras. La madre contó sobre los años antes del nacimiento de su hija, el momento del parto, los años despues del nacimiento y la lucha contra el mundo en el período de su educación, claramente como sifuera ayer.

「今だったら恥ずかしくてできないことも、娘のために必死だったので、当時は何だってやった」と言うお母さん。
現在、娘さんは養護施設に入所していて、週末になると帰宅するという生活を送っているそうです。
La madre dijo, "como estada desesperada, hice todo lo que pude pero ahora daría vergüenza hacer." Ella dijo que ahora su hija vive en un establecimiento y vuelve a casa los fines de semana.

「どんなに慣れた施設でも、集団行動を強いられているからやはりストレスはあるようで、週末自宅へ帰ってくると、居間で気持ちよさそうにコックリコックリ居眠りしてるんです。その顔を見ると、彼女にとっての幸せがこの瞬間であり、私にとってもそうであると感じます。『もっと、もっと』という欲を知らない彼女の生き方を見ていると、『幸せのあり方』の真髄を考えさせられます。」
La madre dijo,"aunque es un establecimiento cómodo, me parece que mi hija siente estrés por la vida en comunidad. Cuando ella vuelve a casa los fines de semana, da cabezadas en la sala y cuando la veo durmiendo con tanta paz, pienso que ella está relajada y felíz y me hace felíz también. Su felicidad es simple y la encuentra en la vida cotidiana. Ella no sabe desear"más", no sabe ser avara, ella es la persona que me enseña la esencia de la felicidad de la vida".

「娘も成長し、私も年を取ったので、私の死後、娘はどうなるのだろうと心配になりますが、幸いにも若くして産んだ子なので、私が逝くのは娘を看取ってからになればいいなと思っています。」
"Ya mi hija está mayor y yo estoy vieja, así que me preocupa el futuro de ella después de mi muerte. Pero como la tuve cuando yo era joven por suerte, espero que yo cierre los ojos de mi hija antes de morirme."

母の愛情は海よりも深し。
私も自分の母への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
El amor de madre es más profundo que el mar.La charla me hizo llenarme de agradecimiento a mi madre.

ふと、「メメント・モリ(Memento Mori)」という言葉を思い出しました。
ラテン語で、「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句だそうです。
日本語では、「死を想え」、「死を忘れるな」などと訳されるそうです。
古代では、「メメント・モリ」の趣旨は「Carpe diem」=「今を楽しめ」ということで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬのだから」というアドバイスだったそうです。これの起源は聖書にあり、古典的な死生観だったようです。
Alguna vez he escuchado una frase,"Memento Mori". Dicen que es una frase latina que significa "Recuerda que morirás" en el sentido de "Recuerda que eres mortal". Originalmente en la edad de Roma antigua, la frase significaba "Carpe diem"(Disfruta del momento), era un consejo como: "Coman, beban y alegrense, ya que pudieramos morirnos mañana". Era una idea clásica de vivir y morir.

命を授かり、育ててもらったことに感謝し、生きている今を大切にしたいな、と思いました。
Me gustaría agradecer que recibí la vida y que me criaron.