2010/06/13

オレオレ

ついに始まりました、World Cup 2010!
私はまったくサッカーのことは分からないし、選手も知らないのですが、サッカーの“World Cup”というものが世界では如何にビッグイベントかは、肌で感じた経験があります。

2002年、日本と韓国が2国共同開催をしている最中、私はちょうど旅の途中で、東ヨーロッパ辺りにいました。
旅の先々で、自分が日本人だと伝えると、「WorldCup!旅なんかしてる場合じゃないでしょ。なんで日本で試合を観に行かないの?」 “信じられな~い”といった顔つきで言われたものです。

ちょうどクロアチアにいた時、クロアチアが1戦を勝利しました。
すると街中が大騒ぎ。街ですれ違う他人同士が誰彼かまわずハグや握手やスマイルを交わしており(もちろん私に対しても)、全員ハッピー、全員友達とはこのことでした。

World Cupが終わった直後、アルゼンチンに行ったのですが、もちろん話題はWorld Cup。
アルゼンチンでは、アルゼンチン戦の時は、誰も働かない(本当はダメだけど黙認)のだそうです。オフィスでもみんなTVを見守るんだそうです。「負けたときは泣いたわ」と私の友達(女性)が熱く語ってくれました。

そして2006年のWorld Cup。この時はボリビアにいました。
強豪揃いの南米で、ボリビアがWorld Cupに出場できる術はないのですが、南米のサッカーに対する情熱はボリビアでも同じです。
とりあえず南米からの出場国を応援します。アルゼンチン派、ブラジル派なんて感じで分かれたりもします。
仕事中でもTVにかじりついているのはアルゼンチンと同じ。やむを得ない人は、ラジオのウォークマンを耳に付けたまま仕事です。そしてなんと、「今日は午後から試合を(TVで)観るから早退します。」なんて人もいました。

ボリビアでも、夕方、近所の子供たちが年齢関係なく集まって、道端でボロボロのボールを裸足で追いかけて砂埃が舞っている光景を度々見かけました。その脇では野良犬がうざそうに寝そべっている。 このシーンを見ると、いかにも途上国なのですが、それより何より、南米におけるサッカーとというものが如何に生活の一部であるかを痛感したものでした。

ところで、昨日のアルゼンチンVSナイジェリア戦で、Messiを❤マーク付きで見守っていた私。

負ければ国内では犯罪者扱い。バッシングのシャワー。
生まれた時からみんながサッカー選手を夢見る国、サッカー選手が歌手や俳優より崇められる国。そんな、いわゆるサッカー大国の選手が背負うものは、「夢」なんてレベルではなく、「国家」であり「命」であるのかもしれません・・・。

ボリビア国内チーム同士のサッカー観戦でも、サポーターのバッシングはすごかったです。自分のサポートチームの選手でも、ミスすれば「ひっこめー」「役立たず」「ヘタクソ」「ボケ」「ナス」(←これはナイか)と容赦なくヤジを飛ばしていました。相手チームに対するヤジもひどい。
“生きたスペイン語はサッカー観戦で学べ”。その日以来の私の教訓です。

そう考えると、日本は「スポーツマンシップの精神」が徹底しているから感心してしまいます。負けても「しょうがない」「よくやった」「次があるさ」と慰めたり、あるいは諦めて「これが実力だったんだ」とやけに冷静になったり。でも、これこそが、サッカー大国との気迫の違いなのかな、と思ったりもしますが。

そして2010年。母国日本でWorld Cupを観るのは、1998年のフランス大会以来です。
あれから12年(?!)。あのときは、初出場だったせいでしょうか、負けると分かっていてももっと盛り上がっていた気がします。
今回、日本戦の時の盛り上がりはどんなもんでしょうかね。

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