「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ」
で有名?な、熊本さ行ってきました。
本来の目的は仕事の研修会。
ですが、研修が始まる前の朝8時半、熊本城へお散歩♪♬
お城と青空を独り占め。
平日のこの時間に来る客なんてあまりいないんでしょうねー。
あ、でも小学生が写生大会に来ていました。
子供:「先生、定規使っていいですか?」 先生:「だめです!」
復元や修復されたものばかりで新築の臭いさえする中、
この「宇土櫓」↑↑は約400年前のままだそうです。
研修が終わった後も一目散に観光へダッシュ!
「水前寺成趣園」です↓↓
これも約400年前に開園された、細川家ゆかりの桃山式回遊庭園。
中央に見えるのは富士山だとか↑↑
いやはや、お見事!
庭園内は、昭和の時代のままでした。
住み込みの食堂やお土産屋さんがあって、白髪のおばあさんがボンヤリと座っている姿が映画のワンシーンのように静寂でした。
熊本の後は、竜馬も愛した長崎へ!「稲佐山」から眺めた長崎市内↓
長崎はボリビアのラパスのようにすり鉢状の地形で、なんだか懐かしくなりました。
長崎名物「トルコライス」を食べました↓
なんと同じ日に長崎にいることが分かった東京の友達と合流。
私の携帯メール:「今、長崎にいるよー」 友達:「え?!私も長崎にいるよ」 こんな偶然、あるんですねー!!
長崎の眼鏡橋↓
皇居だけじゃなかったらしい。
この近くにあるインターナショナルホステルに泊まりました。
1泊2500円男女混合ドミトリー(2段ベッド×4)、バストイレ共同ですが何か?!経費で泊まった熊本のホテルとは大違い・・・。
学生のバックパッカーに交じり、かつての私を見ているようで懐かしい半面、三十路になってもまさかまだ御用達の我がフトコロがちぃと情けなくなりましたとさ。
まずは長崎原爆資料館へ。
1945年8月9日11時2分で止まったままの時計。
ちなみに、同じ建物内に、「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」が併設されていました。
こちら、誰も気付かないのか、ガラガラ。 こちらにも是非足を運んでほしいと思いました。
平和公園です↓↓
原爆で破壊された「浦上天主堂」の焼け残り↓↓
復元された現在の浦上天主堂↓↓
永井隆記念館にも行ってきました。
これは、永井博士が亡くなるまでの時期を過ごした「如己堂」↓↓
己を愛するように他人を愛せよ、という意味だそうです。
藤山一郎さんが歌った私の大好きな曲「長崎の鐘」の楽譜も展示してありました↓
そのあと、街の反対側にある「大浦天主堂」へ↓↓
隣のグラバー園とならんで、びっくりするほどの観光客で賑わっておりました。
夕暮れ時、帰路に着く観光客と逆行して「オランダ坂」を歩く私に、信じられない出会いが訪れたのでした。
タクシーがキキーッと止まり、「本物のオランダ坂を教えてあげるけん、乗りな。お金は取らんけん。」と威勢よく声をかけてくるではありませんか!!
見ると、50代のパンチパーマのおっさん運転手。
新手のナンパか誘拐か?!
3秒くらい迷った末・・・、乗っちゃいました♪
おっさんに連れられて行った「ドンドン坂」↓
写真も撮ってくれるのですが、ポーズも指定され、ダメだしも厳しい・・・。ってゆーか、半ば全て強制的でした。
「ここで降りて、写真撮ってあげるけん。そこに座りな。」って感じ。
おっさん曰く、「どこもかしこも修復、復元されて、本当の長崎が失われていくのが悲しい」「観光客は偽物の真新しい長崎を見て信じ切っている」と。確かに維持するための手入れは欠かせないけど、観光客目当ての不必要な修繕が目立つのだそうです。
この異様に馴れ馴れしく親切で多弁なおっさんは、結局小一時間くらい私を連れまわし、近くの駅で降ろしてくれました。アンビリーバボー。
最終日は、今回の旅の目的であった「恵みの丘原爆ホーム」の訪問です↓↓
市内から離れた山の上にある、被爆者が主として入居している高齢者施設です。カトリックのシスターたちによって運営されています。
毎年、8月には歴代の首相が慰問に来るそうです。なんとローマ法王も来たそうですョ。
あれから65年。まだ原爆の苦しみは終わっていないのです。
語り継ぐべき負の歴史、それを忘れずに、希望に変えて平和を守らなければならないのは私たちの世代。
永井博士の言葉
「本当の平和をもたらすものは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による。」
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2 comments:
研修おつかれさま!どの写真もすてき。おっさんのアンビリーバボーは、きっと愛ちゃんの愛の力がひきよせたんだろうねぇ。またお話聴かせてね
どうせ引き寄せるなら、若くてカッコイイ男子がいいんスけど・・・。
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