まばたきをしていたら9月が終わり、もう10月になっていた。
人生は、良いことも悪いこともあり、ついている時もついていない時もある。
「まさか自分の身に起きるはずがない」、「起きてほしくない」ことってのは、ある日突然やってくる。
1週間前の木曜の夜。
珍しく悪寒がして、久しぶりに早くベッドに入った。
翌朝の金曜日。
体、とくに右側が痛くて、ズボンを履くために足を上げるのすら一苦労。
職場まで歩く道のりが途方もなく長く感じた。
やっと着いたけど、立っているのが辛くて早退。
午後からは熱がぐんぐん上昇。
ベッドに横になっても体が痛くて、どのポジションがラクか試してもどこもラクじゃなくて、ベッドの上でのた打ち回る。
夕方パブロンを飲むとちょっとラクになるけど、2時間くらいで効果が切れてまた辛い。
んなわけで、1日3回と書いてあるパブロンを2時間毎に飲む。
高熱下がらず、夜中は39度近くまで上昇する日々が始まる。
町医者で処方された解熱剤も効かず、夜中は熱と体の痛みでもがき転がりまわる。アクロバット状態。
うとうと夢を見ているのか、自分の妄想なのか分からない世界で彷徨う、長い長い終わらない夜だった。
健全な精神は、健全な肉体に宿る。
この痛みと熱のつらさは、私の心も打ち砕いて、自分の存在価値すら意味がないように感じた。ここでエネルギーを発していることなど、この世の誰も知らないし、知ったところでどうでもいいことなのだ、と。
そして今週の火曜日、違う町医者を受診。
近くの大学病院で精密検査するように紹介状が書かれる。
一日中検査。途中耐えられず外来の診察用ベッドで横にならせてもらった。
看護師さんに、「辛いの気がついてあげられなくてごめんね」と言われ、こっそり泣いた。
結果、右腎盂腎炎。
このまま緊急入院&手術です、と。
右の腎臓に膿がたまって破裂寸前まで膨れ上がっていた。
外から観てもはっきりわかるくらい、右の腎臓が膨れていた。
腎臓を体の外から触るのはこれが最初で最後だと思う。
初めてのオペ室。
テレビで見るのと同じだった。
脊椎麻酔が打たれると、下半身の感覚がなくなり、あとはやられ放題。
下着を脱がされ、股を広げられ、みんなが私の股を覗いていた。
恥ずかしいけど、こんな事態なんだからと、羞恥心はできるだけ捨てた。
それでも、みんなが私をいじっていると思うと涙がでた。
自分が無抵抗で、無力で、情けなくて、悔しくて。
私の両手は、流れる涙を拭うこともできずに置かれていた。
ミルクティのような膿が出てきて、オペ中に「これですよ」と見せてくれた。
尿管に人工の管が埋め込まれた以外、私は切られることも縫われることもなく終わった。
そのあとは、人形のように担架からベッドへ移され、
ドラマのように、院内をカラカラとベッドで運ばれて戻った。
次第に麻酔のしびれが回復していき、私は人間に戻った。
とはいえ、導尿のカテーテルとバルーンをぶらさげて歩くのは、生きた心地がしなかった。バルーンにも「ミルクティ」が溜まっていた。「病人」っぽかった。
病棟は糖尿病を専門にしていたため、私以外全員、糖尿病の高齢者だった。
みんな血糖値を測ったり、インスリン注射をしたり、栄養指導を受けたりで忙しそうにしている中、私はヒマだったので、看護師ウォッチングに専念した。
結論。相手の認知機能に合わせて態度や口調を変える看護師は最低だ。
相手ができない・分からないことにイライラして大声をあげたり、子どものように叱ったり。
マンパワー不足で、心に余裕がないのだ。
同じ医療従事者として肝に銘じよう。患者体験も悪くない。
幸い、熱も下がり、体の痛みも消え、抗生剤を点滴から経口薬に切り替えてもらうことで、今日退院できることになった。
外の空気が美味しい。風が気持ちいい。
痛みを感じずに歩ける幸せをかみしめた。
私の右の腎臓は、生まれつき腎皮質が薄かったらしい。
今後機能評価をして、場合によっては摘出手術も覚悟するようと宣告された。もしかしたら腎臓が1個になってしまうかもしれないということ。
健康がとりえだった私の人生は一変した。
大袈裟だけど、そうなのだ。
私の〝とりえ″は、努力せずとも、いつもそばにあった。
それを失った今、どう生きたらよいのだろう。
取り戻すために生きるのか、失ったまま別の道を生きるのか。
いずれにせよ、つまらなく生きるには、人生は短すぎる。
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