2012/10/27

Tokyo International Film Festival @ 六本木ヒルズ
観てきた映画のタイトルは「NO」!!!
http://nolapelicula.cl/

内容は、他ホームページより解説を抜粋しますとこんな感じ↓

1974年に軍事クーデターを起こし、軍事政権の中心人物ピノチェト大統領の任期を延長することの是非を問う1988年の国民投票中の南米チリが舞台。
反ピノチェト派「NO」の選挙キャンペーンを企画する広告プロデューサー(Gael García Bernal)が「NO」に参画し、国民投票が終了するまでを描く。

変革。
今の日本にも必要。
この映画の人々のようなエネルギーが今の日本人に持てるのか。
私の中にあるのか。

一般公開されるといいなぁ。

2012/10/06

入院

まばたきをしていたら9月が終わり、もう10月になっていた。

人生は、良いことも悪いこともあり、ついている時もついていない時もある。
「まさか自分の身に起きるはずがない」、「起きてほしくない」ことってのは、ある日突然やってくる。

1週間前の木曜の夜。
珍しく悪寒がして、久しぶりに早くベッドに入った。

翌朝の金曜日。
体、とくに右側が痛くて、ズボンを履くために足を上げるのすら一苦労。
職場まで歩く道のりが途方もなく長く感じた。

やっと着いたけど、立っているのが辛くて早退。
午後からは熱がぐんぐん上昇。
ベッドに横になっても体が痛くて、どのポジションがラクか試してもどこもラクじゃなくて、ベッドの上でのた打ち回る。
夕方パブロンを飲むとちょっとラクになるけど、2時間くらいで効果が切れてまた辛い。
んなわけで、1日3回と書いてあるパブロンを2時間毎に飲む。

高熱下がらず、夜中は39度近くまで上昇する日々が始まる。
町医者で処方された解熱剤も効かず、夜中は熱と体の痛みでもがき転がりまわる。アクロバット状態。
うとうと夢を見ているのか、自分の妄想なのか分からない世界で彷徨う、長い長い終わらない夜だった。

健全な精神は、健全な肉体に宿る。
この痛みと熱のつらさは、私の心も打ち砕いて、自分の存在価値すら意味がないように感じた。ここでエネルギーを発していることなど、この世の誰も知らないし、知ったところでどうでもいいことなのだ、と。

そして今週の火曜日、違う町医者を受診。
近くの大学病院で精密検査するように紹介状が書かれる。
一日中検査。途中耐えられず外来の診察用ベッドで横にならせてもらった。
看護師さんに、「辛いの気がついてあげられなくてごめんね」と言われ、こっそり泣いた。

結果、右腎盂腎炎。
このまま緊急入院&手術です、と。
右の腎臓に膿がたまって破裂寸前まで膨れ上がっていた。
外から観てもはっきりわかるくらい、右の腎臓が膨れていた。
腎臓を体の外から触るのはこれが最初で最後だと思う。

初めてのオペ室。
テレビで見るのと同じだった。
脊椎麻酔が打たれると、下半身の感覚がなくなり、あとはやられ放題。
下着を脱がされ、股を広げられ、みんなが私の股を覗いていた。
恥ずかしいけど、こんな事態なんだからと、羞恥心はできるだけ捨てた。
それでも、みんなが私をいじっていると思うと涙がでた。
自分が無抵抗で、無力で、情けなくて、悔しくて。
私の両手は、流れる涙を拭うこともできずに置かれていた。

ミルクティのような膿が出てきて、オペ中に「これですよ」と見せてくれた。
尿管に人工の管が埋め込まれた以外、私は切られることも縫われることもなく終わった。

そのあとは、人形のように担架からベッドへ移され、
ドラマのように、院内をカラカラとベッドで運ばれて戻った。
次第に麻酔のしびれが回復していき、私は人間に戻った。

とはいえ、導尿のカテーテルとバルーンをぶらさげて歩くのは、生きた心地がしなかった。バルーンにも「ミルクティ」が溜まっていた。「病人」っぽかった。

病棟は糖尿病を専門にしていたため、私以外全員、糖尿病の高齢者だった。
みんな血糖値を測ったり、インスリン注射をしたり、栄養指導を受けたりで忙しそうにしている中、私はヒマだったので、看護師ウォッチングに専念した。
結論。相手の認知機能に合わせて態度や口調を変える看護師は最低だ。
相手ができない・分からないことにイライラして大声をあげたり、子どものように叱ったり。
マンパワー不足で、心に余裕がないのだ。
同じ医療従事者として肝に銘じよう。患者体験も悪くない。

幸い、熱も下がり、体の痛みも消え、抗生剤を点滴から経口薬に切り替えてもらうことで、今日退院できることになった。

外の空気が美味しい。風が気持ちいい。
痛みを感じずに歩ける幸せをかみしめた。

私の右の腎臓は、生まれつき腎皮質が薄かったらしい。
今後機能評価をして、場合によっては摘出手術も覚悟するようと宣告された。もしかしたら腎臓が1個になってしまうかもしれないということ。

健康がとりえだった私の人生は一変した。
大袈裟だけど、そうなのだ。
私の〝とりえ″は、努力せずとも、いつもそばにあった。
それを失った今、どう生きたらよいのだろう。
取り戻すために生きるのか、失ったまま別の道を生きるのか。
いずれにせよ、つまらなく生きるには、人生は短すぎる。