5月の末の夕方、親友のあっちゃんから電話がかかってきました。
「今朝、父が亡くなりました。」
3月にお見舞いに行ったとき、
「アイちゃん、遠いところからわざわざ悪かったね」と、
ベッドから笑いかけてくれたのが最期になるなんて。
あっちゃんは数年前にお母さんを癌で亡くしました。
あのときは、一人っ子のあっちゃんと、お父さんが喪主でした。
二人が泣き崩れていた姿がまだ鮮明に残る同じお寺で、こんなに早く、お父さんをお見送りすることになるなんて。
その後、結婚して1児の母となったあっちゃんは、お母さんのときのような壊れそうな脆さはなく、泣きながらも凛とした何かがありました。
「ついにみなしごハッチになっちゃったよ」と寂しく笑う傍には、旦那さんと0歳のしょうちゃんがいて、家族の絆が支えていました。
大切な人と、家族と、友人と、愛する人と、明日もまた会えることは、当たり前なんかではなくて奇跡なのだということを、何故すぐに忘れてしまうのだろう。
明日、もう会えないかもしれないのに、傷つけたり、素直になれなかったり・・・。
あっちゃんがかけた、お父さんへの最期の言葉は「ありがとう」でした。
私なら私なら、と考える。間違いなく、「ごめんね」だと思う。
そう分かってるのに、明日会える保障なんてどこにもないのに、今日もまたやり過ごして日々を生きている。
私も誰かのためになっているのか、必要とされているのか。
誰か一人くらい、私のために本気で泣いてくれる人がいる。
そんな人生を送りたい。
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