2012/06/23

眠れぬ夜の仕事図鑑 Abendland

本日、ナマケモノ倶楽部が主催の試写会&トークショーに行ってきました。映画はコチラ↓↓
http://nemurenuyoru.com/

同監督の「いのちの食べかた」も強烈な映画だったので、今回もハズレはないだろうと期待して行きました。
約90分のドキュメンタリー番組が、ナレーション無し、BGM無し、字幕も説明も無し、というのはビックリ。
つまり、観客自身の解釈に完全に委ねられていて、それ故に私たちの考える力が問われているとも言えるかもしれません。

舞台はヨーロッパ。国境警備、NICU、ドイツのビール祭り、バチカンの夜ミサ、国連欧州会議、戦闘機組み立て工場、自殺防止ホットライン、火葬場、郵便局、娼婦、難民キャンプの引っ越し、デモ隊の座り込み、闇売買、老人介護施設、警察etc...
私たちが眠っている時間に、煌々と灯りがともり、働く人、遊ぶ人、介護される人、死ぬ人、SEXをする人、犯罪者などが淡々と映し出されます。

映画のあとは、文化人類学者の辻信一さんと、ドキュメンタリー映画監督の海南友子さんのミニトークショーがありました。

この映画の原題は「Abendland」=〝西洋、日の沈む土地″。
日本も日の沈む土地。なのに宇宙から地球を眺めたとき、夜に最も光っているのが日本。
それを鼻高々と、文明だと叫んでいた。でも今や、光っていることこそが非文明的であることに気付かなければ・・・。
私たちは「夜」を奴隷化した。昼と同等のことが夜でも出来るようにした。そのために欠かせないモノ、それが「電気」。
だけど、ホントに夜、電気をつけてやらなきゃいけない事って、実はごく僅か。

3.11で原発の恐ろしさを目の当たりにして、じゃあ自然エネルギーにシフトだと叫ぶ。
でもちょっと待って。その前に、夜になったら電気を消そうよ。
おひさまが沈んだら、体を休めて、キャンドルなんぞ灯して、ゆっくりおしゃべりしたり、ごはんを食べたり、スローな夜を過ごそうよ。

そんな、辻信一さんの言葉にハッとさせられました。
エネルギーの出所を議論することは大事だけど、如何にエネルギーを使わない生活を心がけるか、これも同じくらい大事なんだ。

そして、海南友子さんのトークで、映画監督の視点から、編集されてメディアに流される情報の切り口が如何にフレーム化されているかを改めて考えさせられました。
3.11で、メディアは真実を映さない、語らない、ということを痛感したこと、思い出しました。
最近、これまたFacebookで友達がシェアしていたイラスト↓↓

情報があふれ、激しい騒音があふれ、日本は、やたら忙しい。
けれど、自分はどこへ向かうのか、ふと立ち止まって、電気を消して、ゆっくり考える夜もイイかもしれません。

夜は本来、暗闇であり、私たち人間の内面もまた暗闇である。
心の声に耳を傾けるには、夜がイチバン。

2012/06/10

昨日、お友達で、ジャズシンガーの美樹さんに、
「今日か明日、一緒にごはんいかがですか?」と連絡したら、
「じゃあ今夜にしましょう」とお返事をいただき、
嬉しいことに、その日のうちにお会いできる流れとなりました♪

美樹さんに、ライブステージ以外でお会いするのは久しぶり。
一日中冷たい雨が降り続き、風も強く、キモチもなんとなくスッキリしない土曜日でしたが、美樹さんの笑顔を見たそのとたんに、パッと明るい花が咲いたようでした。

私たちが出会った頃のこと、最近のこと、これからのこと、世代も経歴も全く違う私たちですが話は尽きません。
一緒にいるだけで、美樹さんにはたくさんのパワーとエネルギーとハピネスをいただいてしまう。
相変わらず、私の永遠の憧れのお方です♪

先週、美樹さんがステージで歌った、「糸」(中島みゆき)という曲を教えていただきました。有名なのかしら?
中島みゆきのオリジナルもステキですが、岩崎宏美バージョン、櫻井和寿バージョンもステキです。
皆さんはどのバージョンがお好きですか・・・?
なぜめぐり逢うのかを 私たちはなにも知らない
いつめぐり逢うのかを 私たちはいつも知らない
どこにいたの 生きてきたの 遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを 暖めうるかもしれない

なぜ生きてゆくのかを 迷った日の跡のささくれ
夢追いかけ走って ころんだ日の跡のささくれ
こんな糸がなんになるの 心許(もと)なくて ふるえてた嵐の中
縦の糸はあなた 横の糸は私 
織りなす布は いつか誰かの傷をかばうかもしれない
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます

「仕合わせ」とは、国語辞典では、「運命の巡り合わせ」という意味なのだそうです。
「仕合わせ」と呼べる人に出会えること、それが「幸せ」なんだろうなぁ。ジーンと心温かくなる曲です。

2012/06/08

いのち

5月の末の夕方、親友のあっちゃんから電話がかかってきました。
「今朝、父が亡くなりました。」

3月にお見舞いに行ったとき、
「アイちゃん、遠いところからわざわざ悪かったね」と、
ベッドから笑いかけてくれたのが最期になるなんて。

あっちゃんは数年前にお母さんを癌で亡くしました。
あのときは、一人っ子のあっちゃんと、お父さんが喪主でした。
二人が泣き崩れていた姿がまだ鮮明に残る同じお寺で、こんなに早く、お父さんをお見送りすることになるなんて。
その後、結婚して1児の母となったあっちゃんは、お母さんのときのような壊れそうな脆さはなく、泣きながらも凛とした何かがありました。
「ついにみなしごハッチになっちゃったよ」と寂しく笑う傍には、旦那さんと0歳のしょうちゃんがいて、家族の絆が支えていました。

大切な人と、家族と、友人と、愛する人と、明日もまた会えることは、当たり前なんかではなくて奇跡なのだということを、何故すぐに忘れてしまうのだろう。
明日、もう会えないかもしれないのに、傷つけたり、素直になれなかったり・・・。

あっちゃんがかけた、お父さんへの最期の言葉は「ありがとう」でした。
私なら私なら、と考える。間違いなく、「ごめんね」だと思う。
そう分かってるのに、明日会える保障なんてどこにもないのに、今日もまたやり過ごして日々を生きている。

私も誰かのためになっているのか、必要とされているのか。
誰か一人くらい、私のために本気で泣いてくれる人がいる。
そんな人生を送りたい。

2012/06/02

「向き合うこと」


「怒る」ということは、
怒られる方もだけど、怒る方もエネルギーを消耗する。
怒るべきことに対して、どう怒ったらいいのか分からなくて、
怒っても伝わらず、ならば怒らなければ良かったと思ったり、
自分の言い方がまずかった、トゲがある、と思ったり、
そもそも自分に怒る資格があるのか? 
自分は正しいのか? と疑ったりして、
結局、怒ることで、自己嫌悪に陥る。

最近は、そんな日々でした。

友人がFacebookでシェアしていた、どなたかのブログを拝借させていただきます。
自分のことだけ考えて、余裕がなかった最近の私に、「目を覚ませ」と言っているかのよう。
ガツンとくらった気分です↓↓

「怒ることも、怒りを表すことも、悪いことじゃないって思う。
前向きな、愛が根底にある感情なら。
ぶつかることを恐れて見て見ぬふりをしてたら、
生きてる醍醐味、半分しかないのではとも思う。
例えば何か悩みがあったとして、そこを無視してたら、
いつまでもたどり着かないと思う。
穏やかでいつづけるほど、まだ人間出来てない。
だからこそ、生きてるんだ。
ぶつかる。表す。交わる。乗り越える。」