9月22日は中秋の名月。
観月会に一度行ってみたいと思っていたので、赤坂の日枝神社に足を運びました。
ちょうど「仲秋管絃祭」という催しがあり、雅楽をナマ&タダで見学してきました↓↓
El día 22 de septiembre es el día de la luna de cosecha. Ese día hay varios eventos de la ceremonia con música antigua japonesa. Hace años que quería ir a uno, por fín fui con mi amiga Yaita a uno de estos eventos en un templo sintoísta famoso en el centro de Tokyo. Llegamos justo cuando presentaban Gagaku, la música tradicional de la corte imperial japonesa, en el santuario principal.
中秋の名月が、ビルの合間に見えました↓↓
雲行きが怪しくて、お月様は隠れたり現れたり。
Volví la cabeza y vi la luna entre edificios de gran altura. Estaba queriendo llover. La luna se ocultaba y aprarecía tras las nubes.
一緒に行ったYaitaと食べた「お月見だんご」↓
単なる串だんごでしたが、美味しかった♪
Yaita me invitó a "Dango", las bolas de harina de arroz al vapor. Es una ofrenda típica para la luna de cosecha junto con la planta de Susuki, una especie de gramíneas. Antíguamente se celebraba la luna del octavo mes lunar para rezar a Dios con tal de tener buena cosecha en otoño. Se comen Dango especial para ese día pero se vendían Dango de varios sabores. ¡Qué comerciante del templo! pero estaban ricos.
高層ビル群に囲まれた神社で、古来の日本音楽に耳を傾ける。
神社の放つ明かりが異空間を作っていて、それがまたなんとも風情があるのでした。
Me pareció que era un buen encanto escuchar la música antigua en un santuario entre rascacielos del centro de Tokyo junto a la luna. El claro de la luna y de la luz del santuario creaban un ambiente sagrado.
ちなみに満月は23日⇒ドシャブリでした・・・
A propósito, el día siguiente,el 23, fue la luna llena y llovió a cántaros...
2010/09/24
2010/09/23
ベンダ・ビリリ! BENDA BILILI!
「ベンダ・ビリリ!~もう一つのキンシャサの奇跡」という映画を見てきました。
Fui a ver una película documental que se llama "Benda Bilili ~el otro milagro de Kinshasa~".
http://bendabilili.jp/movie/
コンゴ民主共和国の首都キンシャサで、路上生活をしている障害者(ポリオの後遺症で下半身麻痺)とストリートチルドレンの絆と、彼らが奏でる音楽が世界に認められるまでのドキュメンタリー作品です。
Trata de un grupo que se llama "Benda Bilili" de Kinshasa, la capital de la República Democrática del Congo. Los miembros del grupo son victimas de poliomielitis y los niños de la calle. Ellos dormían en el zológico y tocaban su música con los instrumentos hechos a mano. Ahora es un grupo famoso en el mundo después de salir en la película por los franceses y está haciendo una gira por el mundo.
「ベンダ・ビリリ」はバンド名。
リンガラ語で「外側を剥ぎ取れ=内面を見よ」という意味だそうです。
El nombre del grupo "Benda Bilili" significa "rompe el exterior=ve el fondo" en lingala, su idioma de la tribu. Ellos pusieron ese nombre para decir que tienen un espíritu libre aunque andan en silla de ruedas.
貧困(←経済的な)度は、私が知っている南米や東南アジアのそれとは比較にならない、と映画を見て思いました。
ただ、経済的な貧困が、不幸だとか文化や思想の貧困と、必ずしもイコールではないことは確か。
アフリカとひとまとめに括りがちだけど、私には聞いたことも考えたこともない国がいっぱいあることを知りました。その代表がこのコンゴ。
コンゴと言っても、「コンゴ民主共和国」と「コンゴ共和国」に分断されていることなんて知らなかったし、「キンシャサ」が民主共和国の方の首都名ということも知りませんでした。
Viendo la película me di cuenta de que no tiene comparación con la pobreza de los paises que conozco en Sudamérica o en Sudeste de Asia. Pero estoy segura de que la pobreza económica no siempre es igual que la pobreza mental ni la desgracia. No sabía que el Congo se había dividido en la República Democrática del Congo y la República del Congo ni en nombre de la capital.
いまだポリオが撲滅されていないことも・・・。
そういう国がアフリカやアジアにはまだあるとは聞いていても、それが具体的にどこなのか、考えたことはなかった気がします。
Tampoco sabía que todavía no habían exterminado poliomielitis en el Congo. Sabía que existían los paises pero no había pensado en qué país específico.
映画を見たあと、ユニセフの感染症ワクチンに関するセミナーに参加しました。
そして、ベンダ・ビリリ登場↓↓
ミニ生ライブを披露してくれました!!!
Después de ver la película fui a la oficina de Unicef para asistir al seminario de vacunas y aparecieron "Staff Benda Bilili"!! Dijeron que ayer llegaron a Japón y que
empezarian a hacer una gira de conciertos en todo Japón. Hicieron un conciertito para nosotros en Unicef.
映画で見たばかりのベンダ・ビリリが目の前で歌っているなんて、感動、興奮でした。
彼らの奏でる音楽は、彼らの人生すべて。
底抜けの明るさと強さを見せつけられました。
映画の中ではまだ子供だったロシェという少年(空き缶で作った一弦楽器を演奏)が、今はかっこいい青年に成長していました。
No podía creer que ellos estaban delante de mis ojos. Hace poco los conocí en la película y ahora están en vivo. Su música es su vida. Me mostraron la alegría y l a fuerza de la vida por su música. Vi crecer un niño de la calle que se llama Roger que toca un instrumento hecho con un lata y una cuerda. Ya no era un niño,sino un joven guapo!
合言葉は「ベンダ・ビリリ!」
Fui a ver una película documental que se llama "Benda Bilili ~el otro milagro de Kinshasa~".
http://bendabilili.jp/movie/
コンゴ民主共和国の首都キンシャサで、路上生活をしている障害者(ポリオの後遺症で下半身麻痺)とストリートチルドレンの絆と、彼らが奏でる音楽が世界に認められるまでのドキュメンタリー作品です。
Trata de un grupo que se llama "Benda Bilili" de Kinshasa, la capital de la República Democrática del Congo. Los miembros del grupo son victimas de poliomielitis y los niños de la calle. Ellos dormían en el zológico y tocaban su música con los instrumentos hechos a mano. Ahora es un grupo famoso en el mundo después de salir en la película por los franceses y está haciendo una gira por el mundo.
「ベンダ・ビリリ」はバンド名。
リンガラ語で「外側を剥ぎ取れ=内面を見よ」という意味だそうです。
El nombre del grupo "Benda Bilili" significa "rompe el exterior=ve el fondo" en lingala, su idioma de la tribu. Ellos pusieron ese nombre para decir que tienen un espíritu libre aunque andan en silla de ruedas.
貧困(←経済的な)度は、私が知っている南米や東南アジアのそれとは比較にならない、と映画を見て思いました。
ただ、経済的な貧困が、不幸だとか文化や思想の貧困と、必ずしもイコールではないことは確か。
アフリカとひとまとめに括りがちだけど、私には聞いたことも考えたこともない国がいっぱいあることを知りました。その代表がこのコンゴ。
コンゴと言っても、「コンゴ民主共和国」と「コンゴ共和国」に分断されていることなんて知らなかったし、「キンシャサ」が民主共和国の方の首都名ということも知りませんでした。
Viendo la película me di cuenta de que no tiene comparación con la pobreza de los paises que conozco en Sudamérica o en Sudeste de Asia. Pero estoy segura de que la pobreza económica no siempre es igual que la pobreza mental ni la desgracia. No sabía que el Congo se había dividido en la República Democrática del Congo y la República del Congo ni en nombre de la capital.
いまだポリオが撲滅されていないことも・・・。
そういう国がアフリカやアジアにはまだあるとは聞いていても、それが具体的にどこなのか、考えたことはなかった気がします。
Tampoco sabía que todavía no habían exterminado poliomielitis en el Congo. Sabía que existían los paises pero no había pensado en qué país específico.
映画を見たあと、ユニセフの感染症ワクチンに関するセミナーに参加しました。
そして、ベンダ・ビリリ登場↓↓
ミニ生ライブを披露してくれました!!!
Después de ver la película fui a la oficina de Unicef para asistir al seminario de vacunas y aparecieron "Staff Benda Bilili"!! Dijeron que ayer llegaron a Japón y que
empezarian a hacer una gira de conciertos en todo Japón. Hicieron un conciertito para nosotros en Unicef.
彼らの奏でる音楽は、彼らの人生すべて。
底抜けの明るさと強さを見せつけられました。
映画の中ではまだ子供だったロシェという少年(空き缶で作った一弦楽器を演奏)が、今はかっこいい青年に成長していました。
No podía creer que ellos estaban delante de mis ojos. Hace poco los conocí en la película y ahora están en vivo. Su música es su vida. Me mostraron la alegría y l a fuerza de la vida por su música. Vi crecer un niño de la calle que se llama Roger que toca un instrumento hecho con un lata y una cuerda. Ya no era un niño,sino un joven guapo!
合言葉は「ベンダ・ビリリ!」
2010/09/20
Kumamoto + Nagasaki =
「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ」
で有名?な、熊本さ行ってきました。
本来の目的は仕事の研修会。
ですが、研修が始まる前の朝8時半、熊本城へお散歩♪♬
お城と青空を独り占め。
平日のこの時間に来る客なんてあまりいないんでしょうねー。
あ、でも小学生が写生大会に来ていました。
子供:「先生、定規使っていいですか?」 先生:「だめです!」
復元や修復されたものばかりで新築の臭いさえする中、
この「宇土櫓」↑↑は約400年前のままだそうです。
研修が終わった後も一目散に観光へダッシュ!
「水前寺成趣園」です↓↓
これも約400年前に開園された、細川家ゆかりの桃山式回遊庭園。
中央に見えるのは富士山だとか↑↑
いやはや、お見事!
庭園内は、昭和の時代のままでした。
住み込みの食堂やお土産屋さんがあって、白髪のおばあさんがボンヤリと座っている姿が映画のワンシーンのように静寂でした。
熊本の後は、竜馬も愛した長崎へ!「稲佐山」から眺めた長崎市内↓
長崎はボリビアのラパスのようにすり鉢状の地形で、なんだか懐かしくなりました。
長崎名物「トルコライス」を食べました↓
なんと同じ日に長崎にいることが分かった東京の友達と合流。
私の携帯メール:「今、長崎にいるよー」 友達:「え?!私も長崎にいるよ」 こんな偶然、あるんですねー!!
長崎の眼鏡橋↓
皇居だけじゃなかったらしい。
この近くにあるインターナショナルホステルに泊まりました。
1泊2500円男女混合ドミトリー(2段ベッド×4)、バストイレ共同ですが何か?!経費で泊まった熊本のホテルとは大違い・・・。
学生のバックパッカーに交じり、かつての私を見ているようで懐かしい半面、三十路になってもまさかまだ御用達の我がフトコロがちぃと情けなくなりましたとさ。
まずは長崎原爆資料館へ。
1945年8月9日11時2分で止まったままの時計。
ちなみに、同じ建物内に、「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」が併設されていました。
こちら、誰も気付かないのか、ガラガラ。 こちらにも是非足を運んでほしいと思いました。
平和公園です↓↓
原爆で破壊された「浦上天主堂」の焼け残り↓↓
復元された現在の浦上天主堂↓↓
永井隆記念館にも行ってきました。
これは、永井博士が亡くなるまでの時期を過ごした「如己堂」↓↓
己を愛するように他人を愛せよ、という意味だそうです。
藤山一郎さんが歌った私の大好きな曲「長崎の鐘」の楽譜も展示してありました↓
そのあと、街の反対側にある「大浦天主堂」へ↓↓
隣のグラバー園とならんで、びっくりするほどの観光客で賑わっておりました。
夕暮れ時、帰路に着く観光客と逆行して「オランダ坂」を歩く私に、信じられない出会いが訪れたのでした。
タクシーがキキーッと止まり、「本物のオランダ坂を教えてあげるけん、乗りな。お金は取らんけん。」と威勢よく声をかけてくるではありませんか!!
見ると、50代のパンチパーマのおっさん運転手。
新手のナンパか誘拐か?!
3秒くらい迷った末・・・、乗っちゃいました♪
おっさんに連れられて行った「ドンドン坂」↓
写真も撮ってくれるのですが、ポーズも指定され、ダメだしも厳しい・・・。ってゆーか、半ば全て強制的でした。
「ここで降りて、写真撮ってあげるけん。そこに座りな。」って感じ。
おっさん曰く、「どこもかしこも修復、復元されて、本当の長崎が失われていくのが悲しい」「観光客は偽物の真新しい長崎を見て信じ切っている」と。確かに維持するための手入れは欠かせないけど、観光客目当ての不必要な修繕が目立つのだそうです。
この異様に馴れ馴れしく親切で多弁なおっさんは、結局小一時間くらい私を連れまわし、近くの駅で降ろしてくれました。アンビリーバボー。
最終日は、今回の旅の目的であった「恵みの丘原爆ホーム」の訪問です↓↓
市内から離れた山の上にある、被爆者が主として入居している高齢者施設です。カトリックのシスターたちによって運営されています。
毎年、8月には歴代の首相が慰問に来るそうです。なんとローマ法王も来たそうですョ。
あれから65年。まだ原爆の苦しみは終わっていないのです。
語り継ぐべき負の歴史、それを忘れずに、希望に変えて平和を守らなければならないのは私たちの世代。
永井博士の言葉
「本当の平和をもたらすものは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による。」
で有名?な、熊本さ行ってきました。
本来の目的は仕事の研修会。
ですが、研修が始まる前の朝8時半、熊本城へお散歩♪♬
お城と青空を独り占め。
平日のこの時間に来る客なんてあまりいないんでしょうねー。
あ、でも小学生が写生大会に来ていました。
子供:「先生、定規使っていいですか?」 先生:「だめです!」
復元や修復されたものばかりで新築の臭いさえする中、
この「宇土櫓」↑↑は約400年前のままだそうです。
研修が終わった後も一目散に観光へダッシュ!
「水前寺成趣園」です↓↓
これも約400年前に開園された、細川家ゆかりの桃山式回遊庭園。
中央に見えるのは富士山だとか↑↑
いやはや、お見事!
庭園内は、昭和の時代のままでした。
住み込みの食堂やお土産屋さんがあって、白髪のおばあさんがボンヤリと座っている姿が映画のワンシーンのように静寂でした。
熊本の後は、竜馬も愛した長崎へ!「稲佐山」から眺めた長崎市内↓
長崎はボリビアのラパスのようにすり鉢状の地形で、なんだか懐かしくなりました。
長崎名物「トルコライス」を食べました↓
なんと同じ日に長崎にいることが分かった東京の友達と合流。
私の携帯メール:「今、長崎にいるよー」 友達:「え?!私も長崎にいるよ」 こんな偶然、あるんですねー!!
長崎の眼鏡橋↓
皇居だけじゃなかったらしい。
この近くにあるインターナショナルホステルに泊まりました。
1泊2500円男女混合ドミトリー(2段ベッド×4)、バストイレ共同ですが何か?!経費で泊まった熊本のホテルとは大違い・・・。
学生のバックパッカーに交じり、かつての私を見ているようで懐かしい半面、三十路になってもまさかまだ御用達の我がフトコロがちぃと情けなくなりましたとさ。
まずは長崎原爆資料館へ。
1945年8月9日11時2分で止まったままの時計。
ちなみに、同じ建物内に、「国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館」が併設されていました。
こちら、誰も気付かないのか、ガラガラ。 こちらにも是非足を運んでほしいと思いました。
平和公園です↓↓
原爆で破壊された「浦上天主堂」の焼け残り↓↓
復元された現在の浦上天主堂↓↓
永井隆記念館にも行ってきました。
これは、永井博士が亡くなるまでの時期を過ごした「如己堂」↓↓
己を愛するように他人を愛せよ、という意味だそうです。
藤山一郎さんが歌った私の大好きな曲「長崎の鐘」の楽譜も展示してありました↓
そのあと、街の反対側にある「大浦天主堂」へ↓↓
隣のグラバー園とならんで、びっくりするほどの観光客で賑わっておりました。
夕暮れ時、帰路に着く観光客と逆行して「オランダ坂」を歩く私に、信じられない出会いが訪れたのでした。
タクシーがキキーッと止まり、「本物のオランダ坂を教えてあげるけん、乗りな。お金は取らんけん。」と威勢よく声をかけてくるではありませんか!!
見ると、50代のパンチパーマのおっさん運転手。
新手のナンパか誘拐か?!
3秒くらい迷った末・・・、乗っちゃいました♪
おっさんに連れられて行った「ドンドン坂」↓
写真も撮ってくれるのですが、ポーズも指定され、ダメだしも厳しい・・・。ってゆーか、半ば全て強制的でした。
「ここで降りて、写真撮ってあげるけん。そこに座りな。」って感じ。
おっさん曰く、「どこもかしこも修復、復元されて、本当の長崎が失われていくのが悲しい」「観光客は偽物の真新しい長崎を見て信じ切っている」と。確かに維持するための手入れは欠かせないけど、観光客目当ての不必要な修繕が目立つのだそうです。
この異様に馴れ馴れしく親切で多弁なおっさんは、結局小一時間くらい私を連れまわし、近くの駅で降ろしてくれました。アンビリーバボー。
最終日は、今回の旅の目的であった「恵みの丘原爆ホーム」の訪問です↓↓
市内から離れた山の上にある、被爆者が主として入居している高齢者施設です。カトリックのシスターたちによって運営されています。
毎年、8月には歴代の首相が慰問に来るそうです。なんとローマ法王も来たそうですョ。
あれから65年。まだ原爆の苦しみは終わっていないのです。
語り継ぐべき負の歴史、それを忘れずに、希望に変えて平和を守らなければならないのは私たちの世代。
永井博士の言葉
「本当の平和をもたらすものは、ややこしい会議や思想ではなく、ごく単純な愛の力による。」
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