2013/10/20
Naughty Boy - La La La ft. Sam Smith
Cuando vi este video por primera vez me pareció extraño y me sentí algo triste.Y también me dió gran nostalgia,ya que he vivido en este país, Bolivia.
これを初めて見たとき、なんて奇妙で物悲しいんだろうと思いました。同時に、懐かしいボリビアの風景で胸がいっぱいになりました。
Encontré una expricación sobre la leyenda Boliviana que se relaciona con la historia de este video.Me ayudó mucho entenderlo. Me gustaría traducirla en japonés para que conozcan mejor a Bolivia, mi querido país.
このビデオのストーリーの元となった、ボリビアの古い伝説に関する説明を発見。これを読んで、ビデオの意味がようやく理解できたような気がします。大好きなボリビアの景色と伝説をより良く理解していただくために、日本語に訳してみました↓↓
La la la. Narra una leyenda boliviana que data de principios del siglo 20 y que cuenta la historia de un niño sordo que huye de un hogar donde sufre abusos y encuentra un perro callejero que le acompañará desde entonces. Después de vivir en las calles descubre que tiene un talento especial para percibir los problemas de las personas y que puede sanarlas por medio de sus gritos (lalala).
「Lalala」は、虐待から逃れるために家を飛び出した耳が聞こえない少年と、そのとき道で出会った野良犬の、20世紀初頭のボリビアの伝説を物語っている。少年は路上生活をするうちに、人々の持つ苦しみを見つけ出し、“la la la"という彼の声でその苦しみを治すことができる才能を発見する。
Juntos, el niño, el anciano y el leproso van a una mina abandonada, el lugar donde reside el demonio. El niño, al ser sordo, es el único que puede hacerle frente al demonio de tal forma que con su grito es capaz de ocultar la voz del demonio evitando que maldiga a más gente.
少年、老人、らい病患者の3人は一緒に、エル・ティオという悪魔が住む、廃鉱となったポトシ鉱山を目指す。少年は耳が聞こえないので悪魔に近づくことを臆せず、彼の“la la la”という声で、悪魔がもう人間に悪さをしないようにすることができる唯一の人間となったのだった。
参考:http://www.keisen.ac.jp/blog/heritage/2011/08/post-8.html
También es muy interesante ver como hicieron este video.
メイキングビデオも興味深かったので載せておきます↓
2013/05/06
入院ウィーク
ゴールデンウィーク、まるっと一週間、入院してきました。
発症(というか発覚)7か月が経過し、ようやく手術を受けることになりました。
結局、右腎臓摘出という決断をくだしました。
決断をくだした後もこれで良かったのだろうかと悩み、
今の私にとって、最善の選択であることに間違いはなくても、
生まれつき持っていたものを「失う」ことと「治る」こととは、
どうしてもイコールで結びつけられないのでした。
理屈じゃあ分かってるんだけど、受容できない。
前日、主治医からは、「取ると決めたら迷わない!」「あとはまな板の鯉!」と言われました。
どっちも無理!
手術は、予定時間より3時間弱オーバーし、両親は心配したそうです。当の本人は寝てるだけの鯉だけど、待たされる家族はどれだけ気をもむことか。
ごめんね・・・。
目覚めてからも機械的にテキパキと鯉は運び戻され、酸素マスクが逆効果で苦しいし、熱はぐんぐん上がるし、のどはカラカラ。
翌日まで飲水を禁止されていたため、3時間毎の血圧測定&検温の度に、うがいをさせてもらいました。ストローで水を吸い、ぶくぶく、そして吐く。すべて看護師さんの手を借りなければ何もできないことが惨めでした。
長い長い、終わらない夜でした。でも必ず朝はやってくる。
翌朝の水のおいしかったこと。
そして待っていたのは上半身の激しい筋肉痛。
これも手術の副作用でした。鯉になっているときのことだから分からない。身に覚えがないのに筋肉痛ってのが怖い。
早期離床を求められ、私もリハビリだと思ってがんばろうと自分にムチを打ったのですが、手術創が痛む以上に上半身の筋肉痛で歩くことはおろか立ち上がることもできず、声すら出ない!
泣く泣く寝たきりを余儀なくされました。
母に、「明日になったら良くなってるよ」と言われても、こんなに痛いのが明日に消えるわけがないと思っていました。
が、翌朝、信じられないくらい筋肉痛が回復していました!
まるで別人。母はなんで分かってたんだろ?すごいな。
歩けるようになり、しゃべれるようになり、ハミガキができ、顔が洗え、トイレに行けるようになりました。いつも当たり前にやってきたことができるだけで、こんなにも幸せで自信が満ちてくるのが不思議。
それからは毎日着実に回復していきました。
元気になると、持て余すのが時間。
持ってきていた小説は既に初日で読み終わり、病棟ロビーにある本を2冊を読み(どっちもイマイチだった)、あとはぼんやりテレビを眺める。
持ってきていた教科書2冊は手つかず。やっぱりな・・・。
下手に昼寝なんてしてしまうと、21時消灯後の長い夜を眠れずに過ごす羽目になるのでした。
テレビでは、「ゴールデンウィークの行楽地」の様子が映されているのに、病棟の中は静まりかえり、時間がゆっくり流れ、対局の世界が広がっているのでした。
光と影の世界。皮肉なものだ。
だけど、私は今、この「影」にいること、「影」を知れたことが、まんざら悪くもなく感じたのでした。
病棟ロビーでは70歳代前半の紳士とお知り合いになり、色々おしゃべりをしました。病気のこと、仕事のこと、人生のこと。がんを患っており、抗がん剤を打つために定期的に入院しているそうです。
振り返れば、入院したとき、私はこの世で一番の不幸者の気分でしたが、さすが大学病院、上には上がいて、皆さんの話を聞くと私が一番軽症なのではと思えるほどでした。
ま、本人にとっては軽症も重症なんだけど。
そして7日後の今日、退院することができました。
恐ろしく長く感じた一日の時の流れが、終わってみると「あっと言う間だった」と感じられる。
私に起こる全てのこと、
日々の喜びも悲しみも、心揺さぶられる森羅万象も、
すべて教訓となり得る。
分かっていても、想像することと体験することはちょっと違う。
今回の体験を人生の糧にすることができれば、この入院ウィークも悪くなかったと思えるだろう。
がんばれ私!
入院最後の夜、病棟の窓から見た夕焼け↓
発症(というか発覚)7か月が経過し、ようやく手術を受けることになりました。
結局、右腎臓摘出という決断をくだしました。
決断をくだした後もこれで良かったのだろうかと悩み、
今の私にとって、最善の選択であることに間違いはなくても、
生まれつき持っていたものを「失う」ことと「治る」こととは、
どうしてもイコールで結びつけられないのでした。
理屈じゃあ分かってるんだけど、受容できない。
前日、主治医からは、「取ると決めたら迷わない!」「あとはまな板の鯉!」と言われました。
どっちも無理!
手術は、予定時間より3時間弱オーバーし、両親は心配したそうです。当の本人は寝てるだけの鯉だけど、待たされる家族はどれだけ気をもむことか。
ごめんね・・・。
目覚めてからも機械的にテキパキと鯉は運び戻され、酸素マスクが逆効果で苦しいし、熱はぐんぐん上がるし、のどはカラカラ。
翌日まで飲水を禁止されていたため、3時間毎の血圧測定&検温の度に、うがいをさせてもらいました。ストローで水を吸い、ぶくぶく、そして吐く。すべて看護師さんの手を借りなければ何もできないことが惨めでした。
長い長い、終わらない夜でした。でも必ず朝はやってくる。
翌朝の水のおいしかったこと。
そして待っていたのは上半身の激しい筋肉痛。
これも手術の副作用でした。鯉になっているときのことだから分からない。身に覚えがないのに筋肉痛ってのが怖い。
早期離床を求められ、私もリハビリだと思ってがんばろうと自分にムチを打ったのですが、手術創が痛む以上に上半身の筋肉痛で歩くことはおろか立ち上がることもできず、声すら出ない!
泣く泣く寝たきりを余儀なくされました。
母に、「明日になったら良くなってるよ」と言われても、こんなに痛いのが明日に消えるわけがないと思っていました。
が、翌朝、信じられないくらい筋肉痛が回復していました!
まるで別人。母はなんで分かってたんだろ?すごいな。
歩けるようになり、しゃべれるようになり、ハミガキができ、顔が洗え、トイレに行けるようになりました。いつも当たり前にやってきたことができるだけで、こんなにも幸せで自信が満ちてくるのが不思議。
それからは毎日着実に回復していきました。
元気になると、持て余すのが時間。
持ってきていた小説は既に初日で読み終わり、病棟ロビーにある本を2冊を読み(どっちもイマイチだった)、あとはぼんやりテレビを眺める。
持ってきていた教科書2冊は手つかず。やっぱりな・・・。
下手に昼寝なんてしてしまうと、21時消灯後の長い夜を眠れずに過ごす羽目になるのでした。
テレビでは、「ゴールデンウィークの行楽地」の様子が映されているのに、病棟の中は静まりかえり、時間がゆっくり流れ、対局の世界が広がっているのでした。
光と影の世界。皮肉なものだ。
だけど、私は今、この「影」にいること、「影」を知れたことが、まんざら悪くもなく感じたのでした。
病棟ロビーでは70歳代前半の紳士とお知り合いになり、色々おしゃべりをしました。病気のこと、仕事のこと、人生のこと。がんを患っており、抗がん剤を打つために定期的に入院しているそうです。
振り返れば、入院したとき、私はこの世で一番の不幸者の気分でしたが、さすが大学病院、上には上がいて、皆さんの話を聞くと私が一番軽症なのではと思えるほどでした。
ま、本人にとっては軽症も重症なんだけど。
そして7日後の今日、退院することができました。
恐ろしく長く感じた一日の時の流れが、終わってみると「あっと言う間だった」と感じられる。
私に起こる全てのこと、
日々の喜びも悲しみも、心揺さぶられる森羅万象も、
すべて教訓となり得る。
分かっていても、想像することと体験することはちょっと違う。
今回の体験を人生の糧にすることができれば、この入院ウィークも悪くなかったと思えるだろう。
がんばれ私!
入院最後の夜、病棟の窓から見た夕焼け↓
2013/04/28
生きる
久しぶりに読みましたが、やっぱりいい詩ですね。
じわじわと心に沁みて、思わず涙がこぼれる。
生きる
谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いま今がすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
じわじわと心に沁みて、思わず涙がこぼれる。
生きる
谷川俊太郎
生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみをすること
あなたと手をつなぐこと
生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと
生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ
生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いま今がすぎてゆくこと
生きているということ
いま生きてるということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
2013/01/20
3つの坂
2013年、初ブログ!なのに、暗~い内容です。
お読みになるのをパスするのなら、今のうちです。私は、私のために、これが私のためになるようにと願いをこめて、書こうと思います。
先週、また入院してきました。
右腰背部(腎臓)がうずき、またあの9月末の再来でした。
まったく同じ痛み。
どんどん右足が上がらなくなり、諦めて受診したら、即入院&オペ。応急処置をしてもらいました。
付き添いのご家族は?と尋ねられ、「いません」と答える。
2回目だし、痛みも悲しみも2回目。耐えられる。たいしたことじゃないし。子どもじゃないんだから。
そう自分に言い聞かせても、目をつむると現れる暗闇の中で涙があふれる。
どうやら、私が望んでいる未来にはならなそうだ。
ありえない、絶対なんとかなる。
そう信じていたけど、今回の一件で、もしかしたら私が想像していた結果にはならないかもしれない、と思うようになった。
努力して変えることのできる未来なら、変えてみせる。
それでダメなら諦める。
だけど、努力のしようもなく、ただ時の流れに身をまかせることしかできない。それが一番悔しい。
上り坂、下り坂 まさか!
私はその「まさか」を歩いているようです。
まさか、自分に起こるなんて。
どうせなら、嬉しい「まさか」を歩きたかった。
まさか、宝くじが当たるなんて、みたいな。
半年後か1年後か、笑って思い出せる日が来るのだろうけど、 今の私は、どんな慰めの言葉も友達の幸せも素直に喜べない。
本性現る。
こんなとき、自分がどんな人間かを思い知らされる。
健やかな光と影が降り注ぐようにと少しだけ願った。
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