2013/05/06

入院ウィーク

ゴールデンウィーク、まるっと一週間、入院してきました。

発症(というか発覚)7か月が経過し、ようやく手術を受けることになりました。
結局、右腎臓摘出という決断をくだしました。
決断をくだした後もこれで良かったのだろうかと悩み、
今の私にとって、最善の選択であることに間違いはなくても、
生まれつき持っていたものを「失う」ことと「治る」こととは、
どうしてもイコールで結びつけられないのでした。
理屈じゃあ分かってるんだけど、受容できない。

前日、主治医からは、「取ると決めたら迷わない!」「あとはまな板の鯉!」と言われました。
どっちも無理!

手術は、予定時間より3時間弱オーバーし、両親は心配したそうです。当の本人は寝てるだけの鯉だけど、待たされる家族はどれだけ気をもむことか。
ごめんね・・・。

目覚めてからも機械的にテキパキと鯉は運び戻され、酸素マスクが逆効果で苦しいし、熱はぐんぐん上がるし、のどはカラカラ。
翌日まで飲水を禁止されていたため、3時間毎の血圧測定&検温の度に、うがいをさせてもらいました。ストローで水を吸い、ぶくぶく、そして吐く。すべて看護師さんの手を借りなければ何もできないことが惨めでした。

長い長い、終わらない夜でした。でも必ず朝はやってくる。
翌朝の水のおいしかったこと。
そして待っていたのは上半身の激しい筋肉痛。
これも手術の副作用でした。鯉になっているときのことだから分からない。身に覚えがないのに筋肉痛ってのが怖い。

早期離床を求められ、私もリハビリだと思ってがんばろうと自分にムチを打ったのですが、手術創が痛む以上に上半身の筋肉痛で歩くことはおろか立ち上がることもできず、声すら出ない!
泣く泣く寝たきりを余儀なくされました。
母に、「明日になったら良くなってるよ」と言われても、こんなに痛いのが明日に消えるわけがないと思っていました。

が、翌朝、信じられないくらい筋肉痛が回復していました!
まるで別人。母はなんで分かってたんだろ?すごいな。
歩けるようになり、しゃべれるようになり、ハミガキができ、顔が洗え、トイレに行けるようになりました。いつも当たり前にやってきたことができるだけで、こんなにも幸せで自信が満ちてくるのが不思議。

それからは毎日着実に回復していきました。
元気になると、持て余すのが時間。
持ってきていた小説は既に初日で読み終わり、病棟ロビーにある本を2冊を読み(どっちもイマイチだった)、あとはぼんやりテレビを眺める。
持ってきていた教科書2冊は手つかず。やっぱりな・・・。
下手に昼寝なんてしてしまうと、21時消灯後の長い夜を眠れずに過ごす羽目になるのでした。

テレビでは、「ゴールデンウィークの行楽地」の様子が映されているのに、病棟の中は静まりかえり、時間がゆっくり流れ、対局の世界が広がっているのでした。
光と影の世界。皮肉なものだ。
だけど、私は今、この「影」にいること、「影」を知れたことが、まんざら悪くもなく感じたのでした。

病棟ロビーでは70歳代前半の紳士とお知り合いになり、色々おしゃべりをしました。病気のこと、仕事のこと、人生のこと。がんを患っており、抗がん剤を打つために定期的に入院しているそうです。

振り返れば、入院したとき、私はこの世で一番の不幸者の気分でしたが、さすが大学病院、上には上がいて、皆さんの話を聞くと私が一番軽症なのではと思えるほどでした。
ま、本人にとっては軽症も重症なんだけど。

そして7日後の今日、退院することができました。
恐ろしく長く感じた一日の時の流れが、終わってみると「あっと言う間だった」と感じられる。

私に起こる全てのこと、
日々の喜びも悲しみも、心揺さぶられる森羅万象も、
すべて教訓となり得る。
分かっていても、想像することと体験することはちょっと違う。
今回の体験を人生の糧にすることができれば、この入院ウィークも悪くなかったと思えるだろう。
がんばれ私!

入院最後の夜、病棟の窓から見た夕焼け↓